6.-2
「渋谷で仕事してるんだ?」
どうせ真っ当な仕事ではない。何らかの、札束が飛び交うような裏稼業が似合いそう。彩希が勝手な想像を巡らせていると、
「いや、職場は違うよ。仕事が終わって同伴しようと思って渋谷に出てきたらドタキャンされてね。仕方ないから行きつけのバーでひとりで飲んでたら十年ぶりくらいの知り合いに会っちまってこんな時間だ」
同伴とか、言っている意味が良く分からなかったので曖昧に頷いたら、「君はこんな時間に何してるの?」
と問い返された。彩希は男から目を逸らし、再び赤になってしまった信号に目を向けて、
「……私のこと好きになってくれる男の人、探しに来た」
と言った。すると笑顔だった男は、今度は声に出して笑って、
「急に哲学的だな。一ヶ月ぶりに会って、肌が黒くなって都会に染まっただけじゃないんだね」
「……汚い? 日灼けしてるの」
もう日サロに通って肌を灼いている意味も無くなったのだ。
「いや、見違えたよ。その辺のギャルとは違うね、君は。とてもカワイイ」
中年男が未成年のギャルに可愛いなどと言えば気色悪がられるものだが、サラリと言った男に嫌悪感は湧かなかった。地味に嬉しい。そういえば金髪にしても、小麦肌になっても弟は一度も誉めてくれなかった……。
思い出すとまた涙が出そうになった。下唇を噛んで俯くと、胃が軋んで腹が鳴った。
「……じゃ、行くか」
「オジサンがナンパすんの?」
「好きになってくれる男探しにきたんだろ?」
「……オジサン、私のこと好きになったんだ?」
「探しに行くにしても、腹ごしらえしなきゃな」
男は体を上り坂の方へ向けて、「あっちに朝までやってる焼肉屋がある」
焼肉という言葉にまた腹が反応した。
彩希はバスタオルを体に巻いたままベッドにうつ伏せて、壁際にあるボタンを弄っていた。適当に押すと暗くなったり、ブルーライトになったり、ミラーボールが回ったりした。ラブホテルには初めてやってきたから、今時陳腐な古い造りの意匠は彩希にとっては気にならない。水音が止み、すりガラスの向こうの男が全裸の体をバスタオルで拭っている。緊張するんだろうなと思っていたが、まったく心は全く平穏だ。
「……何をしてるんだ?」
腰にバスタオルを巻いてシャワールームから出てきた男が冷蔵庫から水を取り出して問うた。
「べつに……」
どんな明かりにしたらいいか分からなかったから、通常のダウンライトにしてベッドに仰向けになった。いざ事が始まれば、慣れていそうなこの男が程よい明かりにしてくれるのだろう。スキンローションを肌に叩いている音を聞きながら、漫然と天井を眺めていた。昨日の朝早起きしたのにあまり眠くない。ラブホテルのベッドに寝転んでいると、真理子を抱いてファーストフード店を出て行った康介の姿が嘘のように思えてくる――。
ボン、とベッドを拳で叩いた。……嘘ではない。嘘だと思いたい自分が嫌になる。
「どうした?」
突然シーツに暴力を振るった彩希に笑いながら男がベッドの縁に腰掛けた。
「聞いていい?」
「ん? あんまり難しいこと聞くなよ?」
彩希は天井の電球を見つめたまま、
「……好きな人に『今からラブホで男とエッチする』ってメッセ送ったら、返事してくれるかな?」
質問というよりは独り言のように言った。
「難しいじゃないか」
視界に男が差し伸べたミネラルウォーターのペットボトルが入ってきた。彩希はむっくりと起き上がって受け取ると栓を緩めた。
「『やめろ』って返してくれるかな?」
「返ってこないからやめといたほうがいい」
それを聞いて、栓を開けたが一向に飲もうとしない彩希の指を、男が解くようにペットボトルから外していった。「……そう返してくれる彼なら、今、君はここにいないだろ?」
ペットボトルをサイドテーブルに置くと、膝の裏と背中を抱え、彩希の体を自分の体の上に乗せる。胸の中に抱きしめられると温かかった。
「そうだよね……」
彩希は両手で顔を覆った。男の唇がこめかみに触れ、髪の上から優しくはんで耳へと降りてくる。
「辛いならやめとく?」
「オジサン……、我慢できるの?」
「たしかに拷問だ」
耳元で笑われると、誉められた気分になって彩希も泣き笑いになった。
「……いいよ。しても。焼肉たくさん食べたから」
「ビックリするくらい遠慮なかったよな。後で買春とか言わないでくれよ?」
耳元で囁かれるにしてはロマンチックさに欠ける会話だった。だが下手に愛情を込められるより他愛もないほうが彩希にとっては心地良く、会話が途切れて頬に添えられた手で顔を上げさせられると、両手を下ろして、近づいてくる唇をすんなり受け入れることができた。