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「ハチいないよ?」
「あんたのいるとこからは見えないよ。銀座線挟んで向こうっ側だから。……モヤイみっけた?」
そもそも「モヤイ」が何者かわからなかったし、視界は建物とバスと人ばかりで、あれがモヤイかもしれない、と思える物も見当たらなかった。
「ねー、これで合ってんの? ホントに」
彩希は前方を見上げ、「地下鉄っつったじゃん、ユッコ。……電車見えるけど、上走ってるよ?」
「合ってるって。こだわるなもう、めんどくせー。……ついた。……っていねーし」
彩希はキャリーケースを引いて、建物の麓まで来ると地面から首を出した彫深い顔と目が合った。なんだコレ。
「なんか……いる」
「なにが?」
「なんか首だけの像あった」
「それだよそれ。あれ? ついたんじゃん。……、……、……おい!!」
一人の女が近づいてきた。頭の大きさを倍くらいにしているボンバーヘッドで胸を揺らしている。北海道にいる時より垢抜けた姿は、すぐ近くにいたのに分からなかった。
「きゃー、ユッコだ! すっごい変わったねー! わかんなかった」
「そりゃこっちのセリフだよ! なんだ、その頭! その辺のギャルと同化してんじゃないよ」
「そぉ?」
彩希は照れて頭を撫で、イエローゴールドの髪を梳いて見せた。「ちゃんとギャルっぽく見えてんだー。よかった」
よかった? なんで? 訝しむ由香里をよそに嬉しがっている。急に一緒に住みたいと言い出すわ、会ってみりゃ金髪になってるわ、メチャクチャだなこの女。渋谷の街中で説教するわけにもいかなかった由香里は深い溜息だけついた。
「……やっぱ東京ってムズいねー。どこをどう行ったらいいかわかんない」
「あんたそれで良く来れたね」
待ち合わせるだけで疲れた。一服しよう。由香里は側にあった喫煙所に彩希を導き、デニムからシガレットケースを取り出すと一本咥えた。
「んー、親切なオジサンが教えてくれた」
「……親切なオジサン?」
火をつけようとしていた手が止まる。
「うん。空港で途方に暮れてたら、後ろからどうしたのって教えてくれた。……ヤバそうな人かと思ったけど、案外優しかったよ」
空港で切符のボタンを教えてくれた男。派手な女の後ろから現れた男を見た瞬間、どうしても目が向いてしまった。装の良さそうな衣装や、白髪交じりの髪に上品に色付けた茶色のメッシュよりも、左の耳から頬の中頃まで痛々しくはっきりとした傷痕があった。縫い目は蛇行していて、事故による怪我でつけられるような物ではなさそうだった。その傷のせいで強面に見えた。だが女を宥めながらも彩希を助けてくれたということは、中身は優しい男なのだろう。
「あんたね、知らないオジサンに関わっちゃいけません、って昔習わんかった?」
「別にどうもなかったよ。……愛人連れてた、愛人。どっかのホテル行って、ゴハン食べて、それから……、エロいことするつもりみたいだった。……東京ってそこもすごいねー、愛人なんて初めて見た。なんでもアリなんだね」
愛人関係というものが東京限定ということでもないし、東京は何でもアリの街ではない。面白がっている彩希を見つつ、更にストレスを溜めた由香里はタバコに火を点けて大きく煙を吐き出す。
「今から3Pしようって誘われて、追いてかなかっただけでもマシか……」
「そんなの誘われたって行くわけないじゃん。私、一途だもん」
そうだ、それだ。弟がサッカーのプロを目指すから、私も東京に行く。訳のわからない理由で自分を巻き込んできた詳細を聞かなければならない。
「一途なのは知ってる。なんでこんなことになったんだ、っつーのは――」
だが由香里は昼休みに専門学校を抜けてきていて、これからもまだ授業があった。もうあまり時間がない。「後で聞く。言ってた通り、まだ私ガッコあんだよ。夕方まで一人で待てる?」
「うん、大丈夫」
軽い調子で頷く彩希を見ると不安が募る。「私も行くとこあんだ」
「……どこ行くの?」
「日サロ。何か調べたらいっぱいあった」
「……なにしに?」
「日サロって、日灼けしにいくとこじゃないの?」
ギャルになって現れた上に、日灼けをしに行くと。つまり黒ギャルになるつもりだ。何がどういう経緯でそこを目指しているのかは知らないが、問い質していると多くの時間と気力を要するだろうことは雰囲気で伝わってきた。
「ぜったいに知らない人に声かけられてもついて行ったらだめだよ?」
由香里は灰皿に吸い殻を放り込み、もう一度爪先から脳天まで彩希を見た。足肩丸出し。ウェッジソールのサンダルに目元バチクリな化粧。金髪は嫌でも目立つ……だが、それは髪色のせいだけではない。北の大地から出てきたにしては渋谷を歩く女の子たちに比べても遜色ないどころか、可愛らしさがまさっている。しかもキャリーケースを引きずって、家出してきたかのようだ。これじゃ怪しげなスカウトはほっとかないだろう。