Introduction-1
今昔、若き女の有けるが、夏比近衛の大路を西様に行けるが、小一条と云ふは宗形也、其の北面を行ける程に、小便の急也けるにや、築垣に向て、南面に突居て尿をしければ、共に有ける女の童は、大路に立て、「今や為畢て、立々」と思ひ立けるに、辰の時許にて有けるに、漸く一時許立たざりければ、女の童は、「何かに」と思て、「やや」と云けれども、物も云はで、只同じ様にて居たりけるが、漸く二時許にも成にける。日も既に午時に成にけり。女の童、物云へども、何にも答へも為ざりければ、幼き奴にて、只泣立たりけり。
其の時に、馬に乗たる男の、従者数具して其を過けるに、女の童の泣立りけるを見て、「彼れは何と泣ぞ」と、従者を以て問せければ、「然々の事の候へば」と云ければ、男見るに、実に女の中結て市女笠着たる、築垣に向て蹲て居たり。「此れは何より居たる人ぞ」と問ければ、女の童、「今朝より居させ給へる也。此て二時には成ぬ」と云て泣ければ、男、怪がりて、馬より下て、寄て女の顔を見れば、顔に色もなくて、死たる者の様にて有ければ、「此は何かに。病の付たるか。例も此る事有るや」と問ければ、主は物も云はず。女の童、「前に此る事無し」と云へば、男の見るに、無下の下衆には非ねば、糸惜くて、引立けれども、動かざりけり。
然る程に、男、急と築垣の方を意はず見やりたるに、築垣の穴の有けるより、大なる蛇の、頭を少し引入て、此の女を守て有ければ、「然は、此の蛇の、女の尿しける前を見て、愛欲を発して蕩たれば、立たぬ也けり」と心得て、前に指たりける一とひの剣の様なるを抜て、其の蛇の有る穴の口に、奥の方に歯をして、強く立てけり。
然て、従者共を以て、女を済上て、其を去ける時に、蛇、俄に築垣の穴より、鉾を突く様に出ける程に、二に割にけり。一尺割にければ、否出ずして死けり。早う、女を守て蕩して有けるに、俄に去けるを見て、刀を立たるをも知らで、出にけるにこそは。
然れば、蛇の心は、奇異く怖しき者也かし。諸の行来の人、集て見けるも理也。男は、馬に打乗て行にけり。従者、刀をば取てけり。女をば、不審がりて、従者を付てぞ、慥に送りける。然れば、吉く病ひしたる者の様に、手を捕られてぞ漸く行ける。其の後の事は知らず。
然れば、此れを聞かむ女な、然様ならむ薮に向て、然様の事は為まじ。此れは、見ける者共の語けるを聞継て、此く語り伝へたるとや。
(今昔物語集 巻二十九第三十九話)