2.-5
「お姉ちゃん……、お父さんに怒られるよ?」
「え? なんで?」
会うなり真希にそう言われた。相変わらず定職には就けていなかったが、何をするにおいても金は必要だし、これからは少しは家にも入れるようにしようと、今日も日曜なのにシフトを入れてもらって早番のバイトをこなしてきたところだった。
「もぉ……、彩希が簡単に言っちゃうから……」
母親も困った顔で彩希を見てくる。何がなんだか分からなかったから、妹の顔をキョトンとして見ると、
「……お兄ちゃん、合格したって」
はー、と息をついて真希が教えてくれた。
「えっ!」
「彩希のせいだよ。あんたが受けさせてやれなんて言うから……」
そう愚痴ろうとする母親を置いて、彩希は家に向かって駆け出した。
やったすごいよ康ちゃんよかったね。きっと父母も妹も、難関のテストをくぐり抜けたのに賞賛しようとしないだろう。自分だけは康介の合格を心から喜んでやれる。抱きしめて頭を撫でてやろう。……勢い余ったフリをして、三年ぶりにチューしてやろうかな。そんなことを考えながら家に飛び込み、誰も見てないからいいやと、はしたなく足を開いて階段を一段飛ばしで駆け上がった。
「康ちゃ――」
ノックも何もせずに康介の部屋のドアを開けた。可愛い弟はベッドに座っていた。ほんの数秒前に現実に引き戻されたという様子で。
「ね、姉ちゃ……」
腰を両手で掴んで身を捩らせている。下ろしていたジャージを引き上げようとしていた。だが慌てるあまり、何某かが差し支えてうまくいかない。彩希からは……ベッドに座っている康介の横身に、ニュッと異質の塊が突き出ているのが見えた。
「……え、えっと、あの……」
「わぁあっ!!」
康介は彩希に背を向けて膝立ちになり、綺麗なお尻を垣間見せてジャージを引き上げた。
「あ、ごめ……。あ、あの、ご、合格……」
「何だよっ! いきなり入って来んなよ!」
康介が衝動的に背面へ手元にあった物を投げつけてきた。「で、出てってよ!」
「う、うん……。ご、ごめん」
彩希は足元に飛んできた雑誌を拾い上げ、康介の部屋を出た。のろのろと自分の部屋へ戻ると、ドアを閉めた瞬間、声にならない悲鳴を上げてベッドに飛び込み、布団にくるまってゴロゴロと転がった。
「――あー、ひてはんだ、コウフケくん」
何かを食べながら話している由香里の背後からは東京の喧騒が聞こえてきていた。「いきなり入ってやんなよ、かわいそーに」
飲み物を飲んで咀嚼物を食道に落としてから笑った由香里に、彩希は焦りながら、
「や、やっぱそうなの!?」
と念を押した。
「そりゃそーでしょ。その状況だったら」
「だ、だって……」
「だっても何もねーって。十五歳つったら、オナ――」笑っていた由香里だったが、さすがにその言葉を街中で吐くわけにはいかずに咳払いをすると、「……ヤッてて当たり前じゃん」
康介の年代の男の子が自慰を憶えていて当然だというくらいは知っている。だが今まで彼とそういった淫猥な行為が結びつけられずにいたのに、康介がまさに取り計らっているシーンを目の当たりにした彩希は戸惑うしかなかった。
「で、でもね、その、見てた雑誌がさ、なんか、普通じゃないっていうか……」
「ああ、オカズ? そんなもんに普通も何もないよ。康介くんがそういうのが好きってことだろ?」
「……こういうのが……」
パラパラとページをめくった。由香里が指摘するところの「康介のタイプ」とやらの女の子が、誌面から誘うような艶姿を見せていた。彩希がボンヤリと想像していた康介の好み女の子像からはかけ離れている。
しかし由香里の言う通り、これを見て自慰をしていたということは……そういうことなのだろう。
「しかしまぁ、なんつー事故起こしてんだよ、あんた。いくら筋金入りのブラコンだっつってもさー」
別に見ようと思って見たわけではない。
(でも、入団テストに受かったからって……)
誰もが無理だと言っていたテストに合格したことが、康介だって頗る嬉しかっただろう。周囲を見返してやったことが爽快だったのかもしれない。そこへきて、家で一人になった。やっほー。……気持ちと一緒にナニもスッキリしちゃおうと思ったのだろうか。
盛大に惑っていた彩希はそう思い至ると、急に康介が可愛らしくて微笑みが漏れてしまった。
「なんだよ、急に笑うなよ。キモい」
「うん。なんかユッコと喋って納得した」
「……何をどう納得したんか知らんけどさ。んで? どうだった愛しの康介ちゃんのアレ」
由香里に言われて脳裏に思い浮かぶ。ベッドに座り、少し猫背になった康介の股間から屹立していた、男の子のシンボル。
「わ、わかんないよ。あんなになってんの、見たことないもん」