淫靡なる楽譜-8
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『今晩1100、あのホールで。貴女だけに、貴女の為に作った曲を――― 』
宴もお開きとなり寝静まった敷地内で、月明かりの下ホールに向かう道すがら、ディアナは数時間前に密かに手渡されたメモ書きの内容を何度も頭の中で反芻していた。
黒いコートに身を包み人目を気にしながらも、彼女の心は波打ち興奮未だに冷め遣らぬ感があった。
晩餐会が終わるまで、そして自室に戻るまでの時間がどれだけ長く感じられたか。
メモには多くの言葉は語られていなかったものの、あの優雅な吟遊詩人が数ある貴婦人方の中から自分を選んでくれたことに、ついつい自分の美貌を自賛したくなる。
ディアナにとって異性から直接感情をぶつけられるのも久しぶりのことだったからだ。
部屋を抜け出すまでに、夫の顔が一瞬頭の片隅をよぎったがすぐに打ち消した。
館の別室にいるであろう夫も、恐らく今夜は“弟の妻”とは違う貴婦人の1人と熱い夜を過ごしているだろう。
ならば私が 一介の吟遊詩人と会って話すことなど物の数に入らぬ問題のはずだ。例え“王妃"とはいえ、私も1人の女性なのである―――
ディアナはそう自分に言い聞かせながら、ようやくホールにたどり着く。
ここに来る道すがら、またはホールの周囲には人気はない。
ディアナは意を決して、ホール正面の階段を昇り始めた。
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「―――――お待ちしておりました、ディアナ様 」
人気のないホール内。
そのステージの上にはディアナを待っていた詩人の姿があった。
数時間前と同じようにスポットライトがステージ上の詩人、そして中央に置かれた2つの椅子を照らしている。
その内の1つに、詩人がリュート片手に座っていた。
口許には艶然とした笑みを浮かべて。
コートを脱ぎながら、静かに壇上に上がったディアナは相手に察せられないように深呼吸すると無言で正面に座る詩人と向かい合った。