J-8
「儂の名は、中原吉之助だ。孫の吉乃が、その先生の世話になっちょる」
「な、中原さん。ぶしつけなんですが、その出で立ちは“山立ち”の格好ですよね?」
危機を脱した吉岡の中で、探求者らしい“知”への強い欲望が頭をもたげた。
中原は一瞬、驚いた表情を見せたが、直ぐに口の端を上げて笑みを作ると、問い掛けに答えた。
「山立ちか……そんなもん、ずっと前の話じゃ」
話では、山立ちは十年程前に辞めてしまったそうだ。
「──戦争で同士が一人抜け、二人抜け……今じゃあ、儂みたいな死に損ないの老いぼれが、何人か残っとるだけじゃ」
そう答えた中原は、遠くに目を向ける。その眼差しに吉岡は、一種の悲哀を感じた。
時の移り変わりと共に消え去りつつ有る今、その流れに抗え無いと悟った中原の、心の大半を占めているのは、虚しさだけではないのかと。
「いや、すまなかったな」
中原は、吉岡に詫びを入れると踵を返し、再び雑木林の中に戻って行った。
「あんな人が……まだ居たんだな」
山立ちは、命懸けで冬山へ臨む。そこには、常人の人智など及びも付かない能力が、不可欠となる。
代々、山立ちの一族に受け継がれる特異な能力。それが発揮されて初めて、獣との対峙が成り立つのだ。
「それが伝承される事なく、消えてしまうなんて……」
獣も人と同様、自然の恩恵によって生かされている。だから、恩恵以上に数を増やせば、全ての獣に対し、食物が行き渡らない事態が必然となる。
腹を空かせた獣が、食物を求めて人里に下りて行けば、衝突は避けられ無い。
人里に、獣を近付けない為には、獣の数を、適当な数で維持してやるしか無いのだ。
そういう意味からも、山立ちは里の人々から“山の神の使い”として、代々、敬われる存在だった。
山の、食物連鎖の中では上位となる鷹や鷲は数を減らし、頂点に君臨していた狼も、姿が絶えて久しい。
そして今度は、山立ちさえも消え去ろうとする。
「儘ならない物だな……」
吉岡は、来るべき将来を危惧しながらも、どうする事も出来ない事を嘆くしか無かった。