J-18
「あの、河野さん」
宴が始まって間もなく、隣の席の吉岡が話掛けて来た。
「──例の件ですが、一旦、僕は帰ります」
「はっ!?それって……」
雛子には、言葉の意味が解らなかった。
約束は、選定迄だったはず。何故と言う気持ちに、吉岡は言った。
「大凡(おおよそ)の場所は、もう掴んでます」
「だったら!」
「声が、大きいですよ」
周りの目が、二人に集まる。口を噤ます雛子。思わず、大声を出してしまった。
二人から視線が外れた所で、吉岡が続きを語り出した。
「恐らく、村人への説明となった場合、細かい検査結果が必要になると思います。
その時の為の資料を、大急ぎで用意します。だから大学に戻るんです」
言われてみれば、吉岡の言う通りだ。
最終的には、村人の協力無くして計画は進まない。その為には、吉岡の言う資料を用いて、村人全部に納得して貰う必要が有る。
「判りました。何から何まで、有難うございます」
「明日には発って、なるべく早く戻ります。そして、河野さんに資料の意味を伝授しますから」
「はい!宜しくお願いしますっ」
「だから、声が大きいですって」
「あっ!」
再び咎められ、雛子は、慌てて口許を手で隠そうとする。その仕種を見て今度は吉岡が、声を挙げて笑ってしまった。
「……いやあ、貴女は可愛らしい人ですね」
そう言われた途端、雛子の頬が紅く染まった。
「そ、そんなこと……兄からは、よく「可愛気が無い」って、言われてましたけど」
「僕には、そう見えませんが。光太郎さんは、兄として貴女が心配なんですよ」
「そうでしょうか?」
「そうですとも。さあ、一杯行きましょう」
吉岡が、コップに酒をなみなみと注ぎ入れた。
「じゃあ、頂きます」
雛子はコップを口許へ持って行くと、三分の一程をゆっくりと喉に流し入れて行く。
「美味しい……」
「光太郎さんと同様に、いける口なんですね!」
「はあ……今日は、特別美味しいです」
雛子は感じた。今日の酒は、何だか何時もと違うと。
(昨夜、飲んだ御酒は少し苦い気がしたけど、今日のは違う。格別の味だわ!)
高坂に赴任を祝って貰い、吉岡のおかげで計画が進んでいる事を、実感出来ている。
(喜びを感じた時は、とっても美味しいものなのね……)
雛子は初めて、酒は呑む時の気分で、微妙に味を変える代物だと言う事を知った。