J-16
「すみませんでした。吉岡さんを労う立場の私が、取り乱してしまって」
「じゃあ!この件は、これで終わりにしましょう」
吉岡は、快活な声で手打ちを告げ、林田に目配せすると、雛子の方を向いた。
「実は、今日は、僕が河野さんを、夕食にお招きしたいと思いまして」
「え!それって?」
「昨夜、河野さん家から高坂さんの家に帰ると……」
話では、雛子にお世話になった事を高坂に伝えたところ、「是非、家でも慰労会を開かせてくれ」と、申し出られたそうだ。
「──ですから、今日は、高坂さん家に来てくれと言う事です」
「こ、校長先生の家に……ですか」
「ええ。河野さんと……此方の林田さんも、御一緒にと仰有ってました」
「は、林田先生も!?」
雛子の驚き様も無理は無かった。
そもそも、高坂の話自体が作り話で、真相は、林田が吉岡に依頼したのだ。
雛子の家に来る途中、吉岡と出会した林田は、吉岡に“雛子との和解の手伝い”を頼んだ訳で、勿論、こうなる為の細かい青写真を描いたのは、林田なのだ。
「判りました。お言葉に甘えて伺わせて頂きます」
雛子の、快い返答に、吉岡も林田も、安堵の顔で胸を撫で下ろす。
「良かった。そう言って頂けると、思ってました」
「でも、急な事で、私、何も用意してなくて」
「ああ、そんな心配は無用ですよ。さっき、僕と林田さんで、必要な物は買って来ましたから」
これも嘘で、予め林田が購買所で買い揃えていた。
「じゃあ、一時間程したら御迎えに上がりますから」
雛子との約束を交わして、家を後にする吉岡と林田。雛子は遠のく二人の姿を、暫く見送っていた。
吉岡のおかげで、林田とは微妙な関係のまま、猶予を与えられた形だ。
(どちらにしても、子供逹を第一に考えて仲直りしないと……)
結論は出ている。そういう意味では、「今回の慰労会は良い機会だ」と、雛子は捉えている。
「一時間か……お風呂を沸かすのは無理だから、残り湯で支度するしかないわね」
雛子は早速、支度に掛かった。
納戸の行李に仕舞ったままだった、半袖のブラウスと群青色のスカートを取り出して来た。
赴任前、赴任先の詳細等考えもせずに購入した物だが、此処では着る機会は先ず無いと、仕舞って置いた物だ。
だが今回、招かれたので有るから、それなりの格好で伺うのが礼儀である。
そう思うと、予想に反して意外と早く、着る機会が訪れた。
「こういう時ぐらい、良いわよね」
衣紋(えもん)掛けに吊るした服を見つめ、雛子は、これを着た自分を想像して瞳を輝かせると、
「さて、急がなくちゃ!」
威勢の良い声と共に、風呂場へ向かった。
さて、一方の林田と吉岡も、高坂邸への道すがら、笑顔を交わしていた。