J-10
「でも、お父さん。兄さんは学業の代わりに工場で働かされています。私も同様に、女学校では働かされるみたいです。
学生の本文で有る、学ぶ事も許されないのに、それでも、私達の未来は明るいと仰有るんですか?」
“こまっしゃくれた”と言う形容が、正にぴったりな口答えぶり。十二歳とも成れば、抗弁も達者になってくる。普通なら腹立しい場面だが、長年の教員生活で“百戦錬磨”の三朗からすれば、子供の成長具合を確かめられた事で、逆に嬉しそうである。
「確かに、今は辛い時期だが、それも、もうじき終わる。そうすれば、お前逹は自由になる。好きな道を進めば良い」
「ですがお父さん──!」
三朗は右手をかざし、反論しようとする雛子を制した。
これ以上は水掛け論でしかなく、めでたい元旦からの“争い事”は、避けるのが慣習だ。
「いいか、雛子。よく聞け」
そう前置きした三朗は、静かに語り掛けた。
「──それが、亡くなった方々への弔いでも有る。夢を断たれて、死なねばならなかった方々へのな……」
雛子は、あの時、三朗が見せた目を今でも覚えている。戦争に対する憤りと哀しみを堪えている。そんな目だった。
(お父さんの言った事は、正しかったわ。でも、この村の子供逹には、未だに自由は訪れていない……)
貧困が自由を奪う──。此れこそが、この村全ての元凶で有り、それを打破した時こそ、子供逹は初めて“白いカンバス”を手にする事が出来るはずだ。
しかし、そんな壮大な計画ばかりに現(うつつ)を抜かしてもいられない。雛子には、直近の問題も迫っていた。
(それに最近、勉強に遅れ気味の子も出て来たし、このままじゃ……)
担任を受け持って三ヶ月余りが過ぎたが、一部の教科で理解に乏しい子が現れ出したのだ。
──町の小学校は、美和野の分校より成績が良いと、漏れ聞いている。そうでなくても分校出身の子供は、町の子供からすれば他所者と言う、奇異の目で見られ易い。
そんな状況下で子供達が町の中学校に進み、もし、勉強に付いて行けなくなったら、学校に馴染む事も出来ず、学校生活全般を、辛い物と受け止めてしまうかも知れない。
だからこそ雛子は、唯、卒業させるのでは無く、修業させてあげたいと言う強い信念を、胸に秘めていた。
何とか、理解不足を補完してやらねばと思ってはいるが、それを如何様に行うべきなのかは、未だ、答えを出せないでいた。
そんな、思案に暮れる中──。
(又、この人は他人の事で悩んでるよ……)
じっと、遠ざかる子供逹に目をやり続ける雛子の姿に、林田は、何時にない雰囲気を嗅ぎ取っていた。
「そんな顔しないで下さい。相談なら乗りますよ」
そう言うと、林田は、人懐っこい顔で笑みを作り、反応を待つ。が、雛子の方は一瞥をくれるだけで話に乗って来ない。直ぐに又、憂鬱な顔付きになった。
「色々、考え事が沢山有り過ぎて、そんな顔になれません」
皮肉たっぷりの返答。だが、林田は動じた様子も無い。何時もの、気の抜けた笑みを浮かべている。