大学生園児-1
「2人とも、車に気をつけてね…行ってらっしゃい」
「…あぁ、行ってきます」
玄関を出た所で、父と並んで手を振る。
母はにこやかに微笑んで見送りをしていたが、洗い物があるからとすぐに家へ戻ってしまった。
姿が見えなくなってすぐ、父が声を掛けてくる。
「…だいぶ落ち着いてきたか」
「まぁね」
「お前にも苦労をかける」
「…いいよ、別に…」
バス停まで歩いていくと、僕は講義までの時間つぶしがあるからと父を残していつものファミリーレストランへ向かう事にした。
早朝なら人も少ないはずだ。
こんな生活がもう1年ほども続いている。
弟の事故は一瞬の出来事だった。
車のほとんど通らない、見通しのいい直線道路での交通事故。
母が目を離したというより、まだ4歳のはしゃぎたい盛りだった弟が手を振りほどき、飛び出してしまったらしい。
僕と父が病院に駆けつけた時の母は、目も当てられないほどに憔悴しきっていた。
「大丈夫、大丈夫だから」
そんな励ましも届かず、抜け殻のようになってしまった母だったが…ある日、突然こんな事を呟いたのだ。
「…そうだ、そろそろ────も保育園に通わなきゃね?」
(え…?)
母が口にしたのは弟ではなく、僕の名前だった。
記憶の混同。
弟を失ったショックによる一時的なものだろうと医者は話していたが…、結局、何日が経っても母は目の前にいる僕の事を正しく認識出来ないようだった。
反面、母は見違えるように日に日に元気を取り戻していった。
僕を4歳児だと思い込んでいる以外は何の問題も見られず、父とは事故の前と変わらず接している。
「ねぇ、父さん」
僕さえ我慢すれば。
そう決意した時、僕は父にある考えを伝えたのだった。
(…うわ、いつもより遅くなったかな?)
まずいな、と時計を見る。
時刻は17時15分。
小学生ならばそろそろ帰ろうかな、などと悩み始める時間だと思うが、大学生の僕がこの時間に急いで帰宅するには理由がある。
母にとって僕はいつでも4歳児なのだ。
出来れば16時、いくら遅くとも17時前までには家に帰らないと、母は心配して近所中を探し始めてしまう。
それでも大学生活をする上で、どうしても週に2回ほどは帰宅時間ぎりぎりになってしまう。
「こんな時間までどこで遊んでいたの!!」
案の定、母はカンカンに怒っていて、僕を見るなり大声で怒鳴りつけた。
もともと母は僕や弟に対して過保護な傾向はあったが、躾に関しては決して甘くない。
遊びに夢中で帰宅が遅れたとなれば、何より先にまずは一喝するぐらいの強い母親だった。
「こんなに遅くまで心配かけて…!」
「ごめんなさい」
「お尻ぺんぺんよ、いらっしゃい!!」
(あぁ、またか…)
先に述べたように、スケジュールの関係上、最低でも週に2回ほどはこうして母からお仕置きされてしまう。
これも僕の役目だ。
子供のように尻を剥かれて平手で叩かれるというのは屈辱的だったが、誰に見られる訳でもないと自分に言い聞かせて我慢している。
ただ母は、いつも尻肉が万遍なくまっ赤に染まるまで叩くので…4歳児への尻叩きだと舐めていると後悔する。
肌が敏感で、すぐに赤くなってしまう子供の尻に比べ、大学生の尻というのはそう簡単には色も変わってくれない。
多い時であれば尻への母の平手打ちは数100回を超え、あげく夕飯まで押入れに閉じ込められるのだ。
「何回注意させるの、この子は!」
辺りにはぴし、ぱしっと恥ずかしい音が響く。
母も手加減をしているので、4歳児と違い大きな尻にはそれほどのダメージはない。
それがむしろ折檻を長引かせる原因となり、時に数100という膨大な量を打たれてしまう。
「ごめんなさい、もう遅くなりません」
しかしこれで母が満足するならと、僕はひたすら屈辱に耐えるだけだった。
「もう…、今日はこれで許してあげるわ、…さ、手を洗っていらっしゃい」
母の機嫌が良かったのか、この日は普段より随分あっさりと解放してもらえた。
それでも88回の尻叩きである。
すっかり桃色に染まった尻をしまい、洗面所へ向かう背中へ「あまり心配させないでね」の声が聞こえた。
今も母は、僕を4歳児だと信じている。
夕飯を終えると、ようやく自分の時間だった。
大学に課されたレポートを予定通りに終えられたのは、押入れに閉じ込められずに済んだおかげだろう。
これで明日はファミリーレストランに迷惑をかける心配もない。
大きく伸びをしていると、そこへ母が入って来た。
「そろそろ、お風呂入ろっか?」
「え…あ、いや、僕は後でいいよ」
「何言ってるの、1人じゃ入れないのに」
始まった。
これは毎日ではないのだが、母は夕食後のこの時間になると僕と一緒にお風呂へ入りたがる。
僕がいくら拒んだとしても、母にしてみれば4歳児の僕がお風呂に入りたくないと我儘を言っているだけなのだ。
「いい加減にしなさい、それともまたお尻ぺんぺんする?」
それを言われてしまうと逆らえない。
僕は両腕を上げ、バンザイと降参したように母に衣服を脱がせて貰うのだった。