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N県警察
【サスペンス 推理小説】

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N県警察〜粛正の夏・松田忠の章〜-1

 片側3車線の道路を桜並木が彩る、通称「桜通り」の横に居並ぶビルの数々。そんなN県の官庁街、その一角をなす県庁の横にN県警察本部庁舎はある。
 桜は散り、初夏を感じさせる青葉が陽に照らされ、風に揺れている。快晴。
 午前10時。N県警本部3階、交通部。
 2日前に梅雨明けしたというのに、この階のある一室は例えるなら、不快指数値が100を振りきる程の嫌な空気が流れていた。
 交通部長室の来客用ソファには3人の男が腰掛けていた。
 この部屋の主である、仁科達彦。58歳。警視正。今でこそ、よくもまあそこまで肥えられたものだと言う程の肥満体型だが、いわゆるノンキャリアから交通部の部長まで出世したエリートだ。
 仁科の向かいに座っているのは、N市の南に位置する飛松(とびまつ)市の光ヶ丘署の署長、松田忠警視。56歳。
 そして市内の私立大学3年生である仁科の息子、裕明は父の横に座っていた。

 事は重大だった。今朝の通勤ラッシュ、裕明が飛松市内を走る電車内で、女性に痴漢を働いたというものだった。裕明は飛松駅の鉄道警察に現行犯逮捕され、マニュアル通りに管轄の光ヶ丘署に連行━━とはならなかった。
 父、仁科達彦がいち早く事態を知り、飛松駅にて裕明を引き取り、そのままこの部屋に連れてきたのだ。
 仁科は飛松駅の管轄である光ヶ丘署の署長・松田を呼び、来させた。
 
 仁科は松田に詰め寄り開口一番、こう言った。
 「無かった事にして欲しい」
 やはりか。松田の予想は的中した。
 揉み消し。
 息子の犯した罪を抹消してくれ。そうゆう事だ。
「示談…ですか」
「無論だ。諭吉20枚ほど握らせる。それであちらは納得するだろう。後は飛松駅の調書と、そっちの問題を何とかしてくれれば良い」
 クーラーがきいている筈だが、額から汗が滲み出す。
「しかし、これが部外に漏れた場合は大変な事になります…」
「君も今のポストを手に入れる為に、色々やってきたんだろう?署長というのはそうでもしなければなれない。違うか?」
 過去を走馬灯のように振り返る。確かに、した。上に目をかけてもらいたいが為に、汚れ仕事をいくつか引き受けた。だが…
 松田は沈黙した。出す言葉が無かった。
「この程度の事、朝飯前だろう」
「……」
「警察官としての良心が痛む、か?そんな青臭い事を言う歳でもないだろうに」
 仁科親子は嘲笑気味に笑った。
 そう、松田が首を縦に振らないのは先程からの息子・裕明の態度が目に余るからだ。
 ガムをくちゃくちゃさせ、反省の色など微塵も感じない。今もそうやって笑っている。自分は絶対に逮捕されない。そうゆう面をしている。許せない。こうゆう、親の権力をかさに着た輩は心底殴り飛ばしたくなる。
 そういった思いがあるから、しかし上司に逆らう事の出来ない縦社会・組織の人間だから、言葉が出せない。俺は一体何と言えば良いのだ━━。
 うつ向いたまま黙する松田に郷を煮やした仁科は、更に距離を詰め寄る。
「私の言う事が聞けないのか」
 トーンが下がった口調に弾かれたように、松田は顔を上げた。目があった。
「そうゆう事では…」
 仁科の一瞬たりとも隙を見せない黒い瞳に圧倒された。
「…わかりました」
「頼むぞ」
「…はい。失礼致します」
 負けた。上の圧力に。自分の弱さに。
 1人の女性を傷付けた犯罪者は、罪の意識にさいなまれる事もなく、何事も無かったかのように明日も明後日もキャンパスライフを満喫するのだ。裁かれる事なく。
 そして自分はその事実を知っておきながら、隠蔽に手を貸す。悔しかった。席を立ち、一礼をしてドアに向かう際、握る拳に力が入った。その背中に仁科は駄目を押した。


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