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忘れ得ぬ夢〜浅葱色の恋物語〜
【女性向け 官能小説】

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半世紀の時を経て-7

――父からのお便りは以上です。
 もう少しおつき合い下さい。彼の息子として私自身、貴女にどうしてもお伝えしておきたいことがあるからです。
 私は現在47歳です。私が生まれた時、父照彦は41歳になっていました。母はかろうじて30代。しかし高齢出産です。妊娠の確率も低い上に、生まれる子供に障害が発現する可能性も高いと言われています。それなのに、何故長兄とは15歳、二番目の姉とは一回りも歳の離れた私が生まれたのか。その経緯は貴女にお知らせする義務があると思います。

 父は前にも書いた通り貴女がかの施設を辞められて半年後に退職しました。
 現在62になっている兄に聞いたところ、父は兄が小学校高学年の頃からあまり自分たちに関わらなくなった、ということでした。母との会話もしだいに減り、兄が中学校に入学してすぐ父は自宅とは別のアパートに住み始め、週に一度程しか帰って来なくなった、と聞いています。自分と当時小学生だった妹はいわゆる母子家庭で過ごしているようなものだったとも言っておりました。母はそれでも気丈に彼らの世話をしてくれたらしいのですが、夜になるとよくため息をついたり、涙ぐんだりしていたそうです。
 ところが、次の年の6月、突然父が仕事を辞め、家に戻ってきました。母は平静を装っていたらしいのですが、それからすぐに私がお腹に宿ったことが判ると、彼女は父と共にひどく喜んでいたそうです。父にはもちろん母にさえ反抗気味で暗い表情だった兄や姉もしだいに明るさを取り戻し、父が職を移って収入が減ったにも関わらず、家族は穏やかに恢復したと言うことでした。
 これは私の勝手な想像なのですが、貴女がかの施設を去られて、父がそこを退職するまでの約半年間は、父にとって相当苦しい日々だったと思います。大好きだった貴女を思い、その面影を抱いて自らを慰める夜も続いたことでしょう、本人も言っているように、職場でも貴女の名残を感じては切なさに胸がつぶれる思いをしていたと思います。しかし、彼の心は次第に妻、そして子供たちに向いていったことも確かです。いつしか貴女への思いが潮が引くように穏やかに遠ざかり、代わりに家族への思いが少しずつその心を満たしていったのでしょう。父は半年をかけて真に貴女を解放し、家族を再び包み込む決意をしたのだと思います。

 私は、父と貴女の関係について、母もうすうす勘づいていたのではないか、と思っています。父と母のその時の会話や気持ちについて、私には窺い知ることすらできません。しかし貴女との時間は、父が家族の元に戻ってきた時、彼の心の中ですでに過去のものになり、母もそれを赦していたのは間違いないことだと思います。
 こんなことを傍観者である私が口にすることではありませんが、貴女にいらぬ心配をお掛けしてはいけないと思い、父の言葉と併せて記させていただきました。私たち家族は、それからずっと平穏です。どうかご安心下さい。

 結局父は、息子の私に口述筆記をさせ、少しばかりの昔話をしてくれている間、テーブルに置いていたワインのグラスを一度も手に取ることはありませんでした。このお酒はおそらく父が貴女と過ごしていた時の何かに関わるものだったのでしょう。しかし、私はそれを敢えて父に問いませんでした。彼がグラスとボトルを私に差し出して、お前にやる、もう私は死ぬまでこの酒を飲むことはないだろうから、とそれまで私が見たこともないひどく切なげな笑顔でため息をついたからです。私はグラスにも、瓶の中にもコルクくずが山のように浮かんでいたそのワインを、思わず苦笑いしながら受け取るしかありませんでした。
 私は彼の横に置いてあった箱のことについてどうしても知りたくて、思い切って尋ねました。すると父はその箱を手に取り、あっさりと蓋を開けて中を見せてくれました。そこには所々虫の食ったネクタイが入っていました。彼はそれを少しの間見つめた後、元通り蓋をして、私に言いました。この箱を覚えておけ。タンスの奥にしまっておくから。そして私の棺桶に入れて一緒に天国に送ってくれ、と。
 私はそのネクタイの経緯についても、その時涙ぐんでいた彼には到底訊くことはできませんでした。

 語り終わり、何かに解き放たれたように長く穏やかなため息をついた父は、薄い青緑色の封筒を取り出して私に手渡しながら言いました。「これに入れて送ってくれ」と。

 長時間に亘り、このようなとりとめのない文にお付き合いいただきありがとうございました。寒さ厳しき折、ご家族共々息災にてお過ごし下さることを、父と共に心よりお祈り申し上げます。 敬具

                           神村篤志
シンプソン・シヅ子 様



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