罪作りな優しさ-7
「今やから言うんやけど、」敦子は隣に座ったまま、にやにやしながら私の顔を覗き込んだ。
「え?」
「わたしんとこのクラスにな、あんたのこと気にしとる同僚がおったんやで」
私は思わず顔を上げた。「え? ほんまに?」
「しかも二人も。気づかんかったか?」
「知らんかった……」
「ま、無理もないわな。あんたには神村さんとアルバートくん以外、目に入っとらんかったんやからな」
敦子は悪戯っぽく笑いながら続けた。「浅倉シヅ子には彼氏がおる、言うたら一人はあっさり諦めたけどな、もう一人がしつこいねん」
「そうなん?」
「なんやかやと理由つけてたんぽぽクラスに顔出しとったから、あんたも顔ぐらい覚えとるやろ? 桜木」
「桜木……さん?」
「そや。顔も身体もまん丸の寸詰まりオトコ。いっつも顔中に汗かいてて、わたし毎日言うてやってた。もっとダイエットしたらどないや? って」
そう言えば、不必要な程に元気な若い小太りの男性が、たんぽぽクラスに教具を借りに来たり、敦子さんは来てませんか、と探しに来たりしていた。
「あの人かー。いくつなん? 歳」
「わたしらよりいっこ下やねん。そのくせ一年早うに就職したからっちゅうて、偉そうにしとった。それにな、」敦子は眉間に軽く皺を寄せて続けた。「あいつ、神戸の人間やのに、関西弁つかわへんねん。何気取ってんのや、言うても、『いや、僕は』とか言うてごまかすねんで。おまえが気取っても似合わへん。自分の顔と相談したらどないや、っていっつも言うてやってたわ」
私は思わず口を押さえて笑った。
急にああ、と敦子はひどく安心したようにため息をついて、私を切なそうな顔で見た。「やっと見られたわ、シヅのその笑ろた顔」
「え?」
敦子は私の横の椅子を立ち、元のように向かいの場所に座り直した。そして冷めてぬるくなったココアの残ったカップを手に取った。
「あんたが神村さんと不倫しとる間は、そんな顔して笑ったことなかったやん」
私はばつが悪そうに頬を指で撫でた。
「その顔、大阪でアルバートくんとつき合うとったころにはよう見せてくれてたんやけどな」
「……そうだった?」私は上目遣いで敦子を見た。
「ほんでその桜木のやつな、わたしが何度シヅには彼氏がおるんや、言うてやっても、自分の方を振り向かせて見せます、言うて意気込んどった。それにな、シヅは背の高いオトコにしか興味ないねんで、言うても、僕も今から背を伸ばします、言うてな。無理やっちゅうねん。あほちゃうか、なあ」
その桜木という同僚の話で敦子はいつになく饒舌になっていた。そうやって一生懸命になって私の笑顔を取り戻そうとしてくれる親友を、私は組んだ指に顎を乗せ、目を潤ませたまま微笑ましく見ていた。
敦子は腕時計に目をやった。「あ、もうこんな時間や。もうすぐバス来るで。そろそろ用意せんと」
「……そうやな」
私はテーブルの下のバッグに手を掛けた。
穏やかな小春日和だった。見上げると青い空を白い雲の塊が少し急ぎ気味にいくつも流れている。
毎日朝から生徒の乗ったバスを待ち、夕方生徒を乗せて見送ったバス停。今日限りでこの場所とも縁が切れるかと思うと、自然と目に涙が滲んだ。
「ほな、元気でな、シヅ。ご家族にもよろしゅう言うてな」
「うん。おおきに。いろいろありがとう」
私はバッグの肩紐を掛け直した。
「手紙書くからな、あっちゃん」
「そやな。アルくんとラブラブな様子、聞かせて」敦子は悪戯っぽく笑って私の肩を軽く叩いた。
私は泣きそうな顔になり、思わずまた空に目を向けた。
道の向こうからペールオレンジの車体を揺らして、バスが近づいてきた。
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