進藤瀬奈として。-2
季節は桜が満開の4月。街を歩くだけでもその美しい桜並木に気持ちがウキウキしてしまう。気温もだいぶ暖かくなり気持のいい季節になった。
世の中では新生活をスタートさせる人々が未来に胸を膨らませる時期。自ずと瀬奈も同じような気持になる。未来に絶望し海から身を投げた自分からは想像も出来ないぐらいの変化だった。しかし未来に夢を膨らませる一方、現実的な未来を思い憂鬱さも感じている若菜。自分が進藤若菜として生きている以上、それは避けては通れぬ道であった。
そんな時、交番の淳史から海斗に電話があった。
「どうした??」
勤務中に電話が来るのは珍しい。そしていつもとは違う、トーン低めの声で話す淳史。
「海斗さん、ちょっと相談したい事があるんですけど…」
「はっ?何の相談??」
「会って話がしたいんです。今日の夕方、時間ありますか??」
「ああ。じゃあ仕事終わったら寄るよ。」
そう約束して電話を切った。淳史があんな様子で話してくるのは珍しい。そんな姿に海斗はなんとなく意味が分かった。とうとうその時が来たかな、と。いつかその時が来る事は予想していた。想定の範囲内だ。いつくるかと不安に思っていた。今日こそ来るかな?明日は来るかな?毎日そう思っていた。
それは逃げられない事である。いつまでも望む通りにはならない事ぐらい海斗でも分かっていた。瀬奈とはいつまでもこのような関係でいられる訳は初めからなかった。進藤若菜の人生は自分や若菜のものだけではない。夢の生活に区切りをつける時が来た、そう思った。
仕事を終え交番に着いた海斗。中へ入ると淳史が待っていた。
「海斗さん、今日来てもらったのは…」
海斗は淳史の言いずらそうな言葉を遮るように言葉を重ねた。
「瀬奈の家族から捜索願でも出てるんか?」
淳史は驚いた表情を浮かべた。
「し、知ってたんですか…?」
「家族がいなくなったら普通捜索願ぐらい出すだろ。」
「そりゃそうですよね…。でも、意外と平然としてるんですね。」
「んなもん、いつかこういう日が来るのは予想してるさ。いつ来るかってーのが問題で、いつか来るとは覚悟してたからな。」
海斗が覚悟していたと知り、少し気が楽になった淳史は煙草に火をつけた。
「で、どうするんですか?連絡しましょうか?」
「いや、もう少し時間をくれ。俺自身、整理がついていないんだ。瀬奈には俺から話す。それまでは黙っててくれ。」
瀬奈に捜索願が出ていると知って、本人を確認しているのにも関わらず報告を怠るなど警察官にとってはあるまじき行為だ。しかし淳史は海斗の為に警察官にとっての義務を少し怠る事にした。
「海斗さんには世話になってるからなー。大丈夫です。僕は若菜さんが進藤若菜さんだと確認した訳ではありません。似てる人を見かけただけなんでね!」
親指を立てる淳史。
「ありがとう。助かるよ。」
そう言った海斗の悩みを抱えたような姿を見たのは生まれて初めてであった。
「なんか、変人が普通のオッサンになっちゃったみたいっすね。」
「俺だって真面目になる時ぐれーあんだよ!」
海斗も煙草に火をつけた。
「俺はただ人助けがしてーんだか、俺自身が瀬奈と離れたくないんだか、自分でも良く分からねーんだよ…。分からねー。ホント、分からねー。」
ゆっくりと煙を吐く海斗。
「それが人間ですよ。」
「フフ、偉そうに!」
二人は顔を合わせて笑った。
あの日海で瀬奈を釣り上げた時、まさかこんな未来が待っているかなどとは想像も出来なかった。海斗の心の中はあの時の海のように激しく揺れていたのであった。