笛の音 3.-22
手を繋いで、時々グラつくのを明彦に支えてもらいながら歩いた。有紗が顔を伏せていると、俺の方こそ、と聞こえてきた。何に対して? 声を荒らげたこと? 触られて勃起したこと? いずれにせよ、明彦の軽率な回答に眉を顰めそうだったが、それでは済まなそうな顔が崩れてしまい、髪を後ろにロープ網みでハーフアップにしているから横顔でバレてしまう。アウトレットに向かう歩道は、同じく臨時駐車場に停めた人々が多く歩いていた。
「……カップル多いですね」
「俺達はちがうの?」
「そう見えると思います」
有紗は少し唇を噛んで耐えてから、ニッコリと明彦を見た。「車の中であんなことしたから」
「びっくりしたよ」
しかし触らせ続けたではないか。有紗は明彦の手を強く握って、
「私、時々、ああいうワケわかんないことするんです。それでも私なんかでいいんですか?」
「いい」
明彦も更に指を深く組んで握り、「有紗ちゃんがいい。惚れてるから、だいたい許せる」
だいたい? もうこの場で全てを教えてやって、明彦の言う『だいたい』がどこまでを指すのか試したい。
「……へんな人ですね。私のことイヤにならないなんて」
「だから、惚れてるから仕方ないじゃん」
手を繋いだまま肩が当たるほどに近づいて歩いている。周囲から見れば恋人にしか見えないだろう。明彦も自分たちは恋人だと思っている。だが有紗は、明彦を恋人と偽装しなければ、アウトレットに足を踏み入れることができないだけだ。離れた臨時駐車場から随分歩かされて、漸く敷地内に入った。やはり混み合っている。特別行きたい店があるわけではないが、比率としてはレディースの店が多いから、明彦を連れてブラブラと見て回った。途中、死角から足元にやってきた二匹連れのゴールデンレトリーバーに、ちょん、ちょんと脚を鼻先で押されて驚き、しっぽを振る彼らの胸元を撫でてやると、
「あー、もう、お前らは美人にほんと弱ぇなぁ。怒られっぞ?」
呆れてリードを引いた飼い主の老人に逆らって、まだ有紗に寄ってこようとする姿が可愛らしかった。茨城に住まう愛想の良い彼はどうしているだろうか。そんなことを思い出しながら通路を進むと、下着メーカーのアウトレットショップがあった。
「一緒に入れますか?」
別に大丈夫だよ、と言う明彦を引いて入った。中にはカップルの姿が見える。壁やレールに並ぶ下着やランジェリーを見て回る。ほんの少しだが男性用も置いてあった。ビキニタイプのブリーフを見て、明彦には股間が主張しすぎて似合わないだろう、と下品な評を頭の中で巡らせながら、
「……好きな感じのやつ、ありますか?」
と問うた。
「え、俺に選ばせるの?」
「別に選んでほしいわけじゃないですけど、明彦さんが気に入ったのがあれば、買って下さい。私に」
下着を脱がす権利はないのだから、せめて明彦の好みのものを着用してやってもよい。
「……いや、どれがいいかわかんないよ。中身の方が好きだから」
なんだそのセリフは。失笑が漏れそうになったが、ならば別の男の前で着る下着を選んでやりたく、有紗は八重洲で見かけたのと同じような赤いランジェリーを手に取った。
「どうですか?」
「ああ、似合うと思う……」
「変なこと考えてません?」
「考えてないよ」
「考えてくれなくても、悲しいですね」
そう言うと明彦の顔が綻んだ。嬉しそうだ。なんだかんだ言って自分が着た時のことを想像していたに違いない。生憎だが、明彦の前でこの姿を見せるつもりはない。全てをひた隠しにして、じゃ、これにします、と言ってから、明彦をじっと見つめた。
「……あ、買う?」
ポケットに仕舞っていた財布に手を掛ける。
「私に似合うんですよね?」
「……オネダリ、うまいなぁ」
笑った明彦をレジに連れて行き、支払わせた。彼女の下着を彼氏が買うことも少なくはないのだろう、店員は平素の通りに商品を包み、有紗に手渡した。
ありがとうございます、と出口のところで明彦に礼を言い、再び手を繋ごうとしたところで前方に気づいた。
「あっれぇ、おねえちゃん!」
頭の中で描いていたとおり、愛美は二の腕にしがみついて歩いていた。腕の主を引きずるようにして、下着ショップから出てきた有紗の前に早足でやってくる。
「おーっ、愛美ちゃん」
「あ、どうも、森さん。こんにちはー」
飛び跳ねて脚を揃えるとペコリと頭を下げる。まさにテンションが上がっている時の愛美の仕草だ。
「愛美ちゃんも来てたんだねー……、ってことは」
明彦は直樹を見上げ、「これがウワサの彼氏だね?」
「もぉっ、森さん! ウワサってどんなウワサなんですかー」
と言って愛美が笑いながら有紗を睨んできた。
「べっつにぃ? 私、何も言ってないよ?」
「おねえちゃんが言わなきゃ、誰が言うのよーっ。……、あ、直くん」
半ば置いてきぼりだったことに気づいた愛美が、「おねえちゃんの彼氏の森さん。……、で、森さん、コレがウワサの直くんです」
「どーも、森です。よろしく」
「あ、はい。あ、あの……、よろしくです……」