病名-9
勝弘はそんな2人を見て、より一層医者らしい顔付きで言った。
「いいか、環境性人格障害だ。環境によって引き起こされる人格障害なんだ。ならどうすればいいと思う?」
「どうすれば…」
「そんなのは簡単だ。環境を変えればいいんだよ!」
勝弘は笑みを浮かべた。
「環境を変えるって…」
「フフフ、そんな難しい事ではない。だって既に瀬奈ちゃんの環境は変わってるんだからな。ずっと旦那さんにしろあちらの病気にしろ味方になってもらえず悩み抜いていた環境から、海斗君や幸代ちゃんと言う真剣に自分の事を考えてくれる人らがいる環境に変わってるじゃないか。それが大事なんだよ。特別な治療は要らない。今の環境が瀬奈ちゃんにとって最良の特効薬だ。安心しろ。この環境にいれば瀬奈ちゃんは間違いなくこの病気から抜け出せる。間違いない!」
勝弘は瀬奈の肩をポンと叩いた。
「本当ですか…?」
不安そうながらも希望に満ちた瞳で勝弘を見つめる瀬奈。
「ああ。だいたい最近は何かしらの病名をつけたがるご時世だ。ちょっと前なら軽い鬱とか、そんなもんで片付けられてたよ。一応病名は言ったが気にする事はない。自分を病気だと思わない事も大切なんだ。そんな事言ったら海斗君だって病気だ。」
「お、俺!?」
「ああ。人の迷惑考えずにとんでもない事をする精神分裂病…ってとこかな!でも、変人の一言で片づく。そんなもんだ。」
「はぁ!?ヒドくね!?」
「ハハハ!こいつの病気も相当面倒臭い病だ。でもただの変人で認知されてる。だから瀬奈ちゃんも別にそこらの人と変わらぬ普通の人間なんだよ。旦那さんの浮気で傷付いたか弱い女性なだけだ。自分が周りの人と違ってるだなんて思わない事だ。海斗君を見てれば安心できるだろ。な?」
勝弘の言葉は目から鱗の話であった。瀬奈にとっては目の前に広がっていた霧がスッと消え去り素晴らしい景色が広がったような、そんな気分であった。
「私はおかしくない…?」
「ああ。おかしくないね。」
「普通の人間??」
「ああ、普通だね。いや、普通じゃないな。とびっきりの美人のいい女だな!」
「えっ?」
照れて頬を赤らめた瀬奈。
「おっちゃん、いい歳こいて何言ってんだよ!そー言ってあの看護婦を口説いたのか!?」
「ば、バカ!声がデケーよ!!」
再び変な汗が滲み出た勝弘にようやく瀬奈の表情が和らぐ。
「先生、ありがとうございます。どんな有名な先生に診て貰うよりも、先生に診て貰えて良かったです。本当にありがとうございます!」
瀬奈は頭を深々と下げた。
「そ、そんな大袈裟な…。ま、また悩んだらおいでよ。それより今度3人で釣りでも行くか!」
「はい!」
目の前の瀬奈はとても精神的に病んだ人間とは思えない程の素敵な笑顔を浮かべていた。
「じゃあ待合室で待っててくれるか?少し海斗君と話があるから。」
「はい。」
瀬奈は深々と頭を下げて待合室に去って言った。
瀬奈が出て行くのを確認すると、勝弘は海斗を座らせて真面目な顔をして話した。
「今言った通り、このままいけば瀬奈ちゃんの病気は治るだろう。今現在、海斗君を見て錯覚を起こす事がないんだろ?それが証拠だ。ただしこのままの環境でいられればの話だ。」
海斗もその意味は分かっていた。
「でもいつかは旦那さんの元に帰らなきゃならない日が来る。もとの環境に戻った時に果たしてもう人格が変わったかのように暴れる事はないとは言い切れない。体の傷はいつかは治癒するもんだ。しかし心の傷はそう簡単に治らないんだ。俺は今の瀬奈ちゃんには全く心配はしてない。でも、海斗の元から離れた時には心配だ。もはや瀬奈ちゃんにとって海斗君はなきゃならない存在になっているんだ。それを忘れるな?どっちにしろいつかは海斗君の元からいなくなる日が来るんだ。瀬奈ちゃんと一生を共にする覚悟があるならいいが、そうでないならあまり深く関わらない方がいい。今度は瀬奈ちゃんは海斗君依存症と言う病気になってしまうからな。現実的に一緒になるのが厳しいなら、自分の気持ちにしっかりと線を引いておく事を勧めるよ。」
海斗は勝弘の言葉をじっと聞いていた。
「分かったよ。ありがとな。」
海斗はらしくない姿を勝弘に見せて病院を後にした。