蒼虫変幻-1
ぼくにはわかっている。ぼくの蒼い幼虫は、あの女の人に出会ったときからぼくのものでなく
なり、ぼくを置き去りにして離れていった。艶やかな薄絹のような草むらに包まれた愛おしい
ぼくの幼虫は、毒のある花蜜に誘われるようにあの人の中に忍び込んでいき、自らの殻を喰い
ちぎり、忌々しいほど醜悪な猛禽の顔をした虫に変幻していったのだ。
幼虫に対するぼくの甘やかな感傷は、沈鬱な濁りと淫蕩を含みはじめ、残酷な焦燥と物憂い
悪夢をかじり始め、ぼくを苦しめ始める。そして、ぼくは憎々しい幼虫を過酷な屈辱へと追い
やるためにこのサバイバルナイフを手に入れたのだった…。
ぼくはこれまで女の人の肌に触れたことがなかったし、もちろん性を交えたこともなかった。
だから二十歳になったぼくは、今でも童貞なのだ。ぼくは夢の中で自分の裸体を強く抱擁する。
そのときぼくは、自分の幼虫がまるで虫が卵から孵化するときに滴らせる甘いしずくの音を聞
くことができるのだ。
夢から覚めると、脱皮し始めた幼虫は、可憐な口先から溶けた真珠のような白い粘液をぼくの
股間に瑞々しく吐いている。ぼくは自分の内腿に流れた、艶々とした色合いをもった白濁液を
指で掬い、まるで愛しい恋人の蜜液のように唇に含む。そのとき、ぼくは自分自身の肉体に
潜む甘い感傷に導かれ、ミルク色に染められた性の澄みきった蒼空に舞い上がることができた
のだ。
それは、ぼくがぼく自身である初めての証しだったような気がする。
幼虫は、そんなぼくの幸福な感傷に浸りながら白い太腿の付け根の淡い翳りの中でいつも目を
覚まし、薄桃色の包皮にあどけない彩りを滲ませながら蠱惑的な吐息を洩らす。ぼくは目覚め
たばかりの幼虫をひんやりとした朝の冷気を含んだ掌で包み込むと、幼虫は恥ずかしげに悶え
ながら澄んだ液を零し始める。ぼくは自分のからだに付着した幼虫の姿に心地よい愛おしさを
いだき続け、幸福なひとときを過ごしていたのだ。
そんなときだった。ぼくがあの女の人に出会ったのは…。
「ボートを漕ぐのがお上手なのね」と、三十歳半ば頃のその女の人は、視点の定まらない瞳を
わずかに澱ませながら小さく囁いた。
遠い山々の頂を白い雪が覆っているというのに、今日はとても暖かく、どちらかというと生暖
かい風が湖の上のぼくたちを包み込んでいた。それにしても季節はずれの冬の時期にこの湖を
ひとりで訪れる女性がいるとは思わなかった。
「小学生のときからここでボートを漕いでいますから…」
ぼくはそう言いながらゆっくりとオールを動かし、彼女を乗せたボートを湖の中ほどに向かわ
せる。
湖は鬱蒼とした森の奥に深く入り込み、波のない静かな水面は季節ごとに変化する光に幻想的
に彩られる。以前はぼくだけが知っている秘密の場所だったが、いつからか観光客がときおり
ここを訪れるようになった。
静寂に包まれた澄み切った湖には珍しい魚や生き物が生息していた。深い渓谷から流れ込んで
くる清流を並々と湛えたその小さな湖は、鬱蒼とした森の中に突然現れてくる。生い茂った
樹木が湖畔の岸際を覆い、日差しを遮っているので昼間でも湖のまわりは黄昏時のように暗い。
突然、ぼくのボート小屋を尋ねてきたその女の人は湖に出たいと言った。彼女が赤いジャケッ
トの下に鶯色の病室着を着ていたことから、ぼくは彼女があの療養所にいる患者であることが
すぐにわかった。ご病気なのですかというぼくの言葉にその人は曖昧で虚ろな笑みで応える。
ぼくはそれ以上に尋ねることをやめた。