離れて行かないで-8
後ろ髪引かれるような気持ちだけど、仕方あるまい。
これ以上沙織の側にいたら、きっと彼女が嫌な気分になるだろうから。
ドアを少しだけ開けておけば大丈夫だと、ドアレバーに手をかけそっと開けると、エアコンの効いた部屋の中とは打って変わり、蒸し暑い湿った空気が頬を撫で、思わずしかめっ面になる。
慌てて部屋を出ようと、足を踏み出したその瞬間に、
「倫平、行かないで……」
と、蚊の鳴くような声が背後から聞こえてきた。
すぐには振り向くことができずにいた。
自分の耳が信じられなかったから。
バカな真似をして沙織を傷付けた俺の名前を、彼女が呼ぶなんて有り得ないと思っていたから。
だから俺は、金縛り状態になったままドアの前に突っ立っていた。
沙織がそんなことを言うはずがない。
完璧に俺に愛想を尽かし目も合わせてくれなくなったんだ。
嘘だ、何かの間違いだ、空耳だ、そう自分を納得させている俺の背中に、沙織はもう一度、
「倫平……離れていかないで」
と、確かにハッキリそう言った。