18章-1
週明け。
玄関で鏡哉を見送り、美冬は朝食で使った食器を食器洗浄機へとセットしていた。
ピンポーン。
インターフォンのチャイムが鳴る。
「………?」
時計を見ると7時半、まだ早朝だ。
鏡哉が出て行って数分しかたっていない、美冬の頬が緩む。
美冬は手を洗うとパタパタとスリッパの音を立て、玄関へと急ぐ。
施錠を解除し、重厚な扉を開く。
「鏡哉さん? 忘れ物――」
そう言いかけた美冬の目に、社章の付いた紺色のスーツの胸元が入る。
「………っ!」
顔を上げた美冬は、相手の顔を見て絶句した。
そのまま微動だにしない美冬の肩を押し、その人物は玄関に入り後ろ手に扉を閉めた。
「……説明、してくれるね?」
そう言って美冬を見つめ返した男は美冬の背を押し、リビングへと導いた。
ソファーに美冬を座らせると、男は隣に座りこむ。
「どうして、君がここにいるの?」
「……高柳さん」
口を開いた美冬が、その男の名前を呼ぶ。
高柳ははあと息を吐き出す。
そのしぐさに美冬は肩を震わせた。
(どうして……高柳さんがここへ――?)
混乱していた美冬は心の中でそう思い、直ぐに俯く。
(どうして? 考えれば分かることじゃない。ここから出る手助けをしてくれたのは、高柳さんだったのに。半月も連絡が取れないなんて、不審がられるに決まっていたんだ)
「……すみま、せん」
ぽつりとそう呟いた美冬に、高柳は再度息を吐き出すと口を開いた。
「別に俺に謝る必要はないんだ、ただなんで連絡してくれないの?」
そうあっけらかんとした返事を返した高柳に、美冬はそろそろと顔を上げる。
「高柳さん……?」
「社長と両思いになったんでしょ?」
笑顔でそう聞いてきた高柳に、美冬は頬を染めて小さく頷いた。
「そうだろうと思った。美冬ちゃんがいなくなったのに社長の機嫌は変わらないし、俺は社長秘書解任されるし――」
「えっ!?」
さらりとそう言った高柳に、美冬は大きな声を出してしまう。
「た、高柳さん……秘書解任って――?」
「ああ、誤解しないで。会社を首になったわけではないから。他の役員の秘書に異動になっただけだし」
焦って聞き返した美冬に、高柳はへらへらと笑って返す。
「………」
(私のせいだ――私が高柳さんに泣き付いたから。でも、まさか秘書を解任するなんて――)
美冬はそう思うが、はたと止まる。
(本当に? 本当はこうなるって分かってたんじゃないの? 鏡哉さんが本気になれば自分の居所なんて簡単に分かる。そしてマンションを出る手助けをしたのが高柳さんだということも――)
血がすうと引いていく感じがした。
「……ごめん、なさい」
声を振り絞り、美冬は深々とこうべを垂れる。
(私は、ずるい。
高柳さんに迷惑がかかると分かって甘えてしまった。そして――
鏡哉さんがいなくなった私を連れ戻しに来るだろうことも)
「ごめんなさい」
頬に涙が伝う。
自分には泣く権利さえないというのに。
自分の狡(ずる)さが、嫌になる。
「謝るくらいなら、事情を説明して」
隣の高柳から厳しい声が降ってくる。
「どうして、学校に行っていない?」
「………」
「校門で待っていても美冬ちゃんに会えないから、学校に連絡したんだ。そしたら君は突然辞めると保護者から連絡が来たというし、アパートもいつの間にか解約されていたし……」
黙り込む美冬に、高柳が追及する。
「俺にはそれを聞く権利があると思うんだけれど?」
もっともな高柳の言い分に、美冬は答えようと思うのだがなんと説明すれば納得してもらえるのかと答えあぐねる。
「美冬ちゃん?」
「……大検、受けようかと思って」
やっと口を開いた美冬に、高柳がすっ飛んだ声を上げる。
「大検!? なんでそんなもの? 高校通えばいいだけなのに……ってまさか――」
言葉を切った高柳が、いきなり美冬の両肩に手をかける。
驚いて反射的に顔を上げた美冬の瞳を、高柳が射抜く。
「まさか、社長がそう言ったの?」
目を逸らそうと思うのに、高柳の視線が強すぎて逸らすことができない。
「ち、ちが――」
反論しようとした美冬の肩に、高柳の指が食い込む。
「何が違う!? 君に大検なんて発想が出てくるはずがないじゃないか」
「……痛っ」
高柳の力の強さに、美冬の顔が歪む。
「ご、ごめん」
慌てて手を放した高柳が美冬に詫びる。
吹き抜けの室内にしんと静寂が落ちる。