逢瀬〜愛撫のとき-1
昨夜、渡部紀夫から連絡があった。
「明日の土曜日、食事に行かないか?」という誘いの電話だった。嬉しかった。新体操倶楽部の練習が午後4時に終わるので、一旦、家に帰って、6時半には高円寺に行けそうです、と答えた。
午後5時前、自宅に戻り、シャワーを浴びた。胸の中に押し寄せてくる期待と不安。渡部のマンションに行くことになるのだろうか。そして、求められる?
(とにかく、綺麗な下着を穿いていかなくちゃ……)
三原レイは、バスタオルをからだに巻いた格好で、チェストを開けて、下着選びに頭を悩ませた。
(やっぱり白がいいかなあ?ストッキングは薄手のグレーにしよう)
下着選び、服選びに15分ほど費やしたレイは、午後6時過ぎ、ブーチェ(ショートブーツよりコンパクトな靴)を履いて家を出た。
12月8日、午後6時25分。レイは高円寺駅に着いた。
渡部紀夫は北口の改札で待っていた。モカ色のフーデッドブルゾンにネイビーブルーのチノパン。レイを見つけると、手を振ってきた。
紀夫は、高円寺駅から徒歩2分ほどのところにあるイタリアンレストラン「ポポラーレ」に連れていってくれた。
「イタリア料理、好き?」
「あまり、食べたことないけど、好きかも……」
まず、紀夫はグラスワイン(白)を、レイはグレープフルーツジュースをオーダーした。料理は、前菜に寒鰤のクルード(刺身風)、メインは、魚介類たっぷりのパエリヤ、サラダは、アーティチョーク(キク科の植物)と胡瓜のサラダ。
前菜は、脂が乗った鰤の刺身にお酢が利いたドレッシングがとても合っていた。紀夫は担任しているクラスの雰囲気などを陽気に語った。
メインのパエリヤは、オーブンで仕上げたサフランライスの上にグリルした車海老や烏賊(いか)、蛤などが乗っていて、絶妙のハーモニーを醸し出していた。取っ手付きの丸い鉄鍋から、二人で取り分けて食べる。レイは幸せな気持ちになった。
「アーティチョーク、ほこほこしていて、サツマイモみたい」
「うん、アーティチョークときゅうりの薄切りが絶妙にマッチしてるなあ」
紀夫は、同僚の早瀬久美子にモーションを掛けられていることを語り、そして、僕は彼女の誘惑には負けないから、と、きっぱりと言った。
(ほんとうに大丈夫だろうか)
レイの心に一抹の不安がよぎった。
「レイちゃん、今夜はゆっくりできるんだろう?映画でも観よう」
「映画? 今から?」
「といっても、ホームシアター。ビクトル・エリゼの『ミツバチのささやき』借りてきたんだ。いい映画だよ」
イタリアンレストランから出ると夜風が冷たかった。80デニールのストッキングに冷たさが染みてきた。レイは、ベージユのダッフルコートの留め具をきちんと留めてきたか、目で確かめた。だらしない女性だと思われたくない。
紀夫はレイに寄り添って歩いてくれていた。路地から庚申通りに出る直前、紀夫は歩きながら、レイの肩を抱いてきた。
レイはビクッとする。
「肩を抱かれながら、歩くは嫌か?」
「……」
「僕たちは恋人どうし。こうするのが自然だと思う」
腕の逞しさや暖かさが、背中から心にまで伝わってきた。知っている人にばったり会ったら恥ずかしいと思ったが、そんな気持ちは、歩いているうちに消えていった。