4. Speak Low-1
4.
"Speak Low"
(続けてください)
応接椅子に座った悦子は渋い顔で息をついた。正面では平松が膝を揃えて手を置き、うつむき加減に小さくなっている。悦子は聞こえる溜息をつくと脚を組み、ストッキングに包まれた美しいももの上に持った紙の束を手の裏側で叩いた。
「今んなってこんなレベル間違ってもらっちゃ困るんだけど?」
「はい……」
「はい、じゃないよ。どうすんの、これ」
不機嫌な声を隠そうともしない。「いい? ここの担当さんの上司の方、難しい人だって前々からいってたでしょ? こんな発注ミスして、商品が届いたらすぐに電話かかってくる。あんただって、10ヶ頼んだのが、100ヶも届いたらビックリするでしょ? しかもセンターに一旦入れたらいいのに、直納にしてるしさ。……もうっ、こんなミスしたらまた『コンサルだけやってりゃいいのに手配まで手出すからだ』って嫌味言われるじゃん」
「で、ですが仕入元も、いくら何でも直納で100ヶも発注してくるなんて、間違ってるって気づくと思います」
「は? なに人のせいにしてんのよ?」
呆れた顔でテーブルの上に紙束を投げやるとバラけて散らばる。
「それに……」
「なに?」
「伝票通したのは、権藤チーフですから」
紙束を離した後、背凭れに身を預けて腕を組んでいた悦子が鋭い眼光で睨み、
「え? 私のせいだっての?」
と言ってから舌打ちをする。
「だって本当のことですから」
悦子はもう一度舌打ちをして脚を崩し、身を乗り出すと散乱している紙の上から爪でトツトツと苛立たしげにテーブルを叩くと、
「……止められないの? 納品」
と訊いた。
「無理です。もう発送がかかってしまって、今ごろ配送業者が運んでいるところだと思います」
はー、と悦子は髪を真下に揺らして諦めと怒りを含んだ溜息をついた。
「いつ先方に届くの?」
「明日の午後ですね」
「業者のさ、現地の集荷センターみたいなとこ、あるでしょ。そこで止められない?」
「さぁ……」
悦子はバンッとテーブルを叩いて、
「さぁ、って何よっ! あんたのミスでしょっ!!」
と叫び、声を荒らげてしまった自分にも苛立って髪を後ろに掻き上げる。「……とにかく、謝りに行くしかないね。明日午前中で連絡取って、先方に搬入されるところで捕まえて、返品手続きしてもらうしかない」
「仕入元への返品手続きが間に合いません。相模原に一度入れてもらいますか?」
「やめてよっ! そんなことしたらいい恥晒しじゃんっ!」
目を閉じて髪に埋めた指先で頭を掻いている悦子を見ながら、最初は反省していた体をみせていた平松のほうが何故か余裕めいた表情に変わっていた。
「じゃ、連絡して仕入元に戻してもらいます。チーフ、お客様先から仕入元への配送伝票切ってもらえますか?」
「どの案件で切るのよ?」
「それは、何とかしてください。別便の発注かけるとかするしか無いと思います」
眉を寄せ、はぁ?、という顔を向けて、悦子は再び身を起こし背凭れに身を預ける。自然とまた脚を組んでしまって、暫く黙っていたが、
「……私に架空伝票切れっての?」
肘掛けに置いた手で眉間を揉みながら呆れた声で言った。
「私には権限が無いですから」
「上司に不正発注させようなんて、イイ根性してんじゃん」
悦子は眉間から手を離し、肘をついた拳にこめかみを乗せて平松を薄笑みで見ると、「もうひとつ方法あるよ? ……あんたが始末書書けばいい」
平松は、ふうっ、と息をついて、それまで椅子に浅く腰掛けていたのを座り直し、膝を開いて座ると両肘をそれぞれに乗せた前のめりの姿になる。
「部下を切るんですか?」
「別に切りはしないよ。始末書書くほうが、正しい処置方法じゃん、これ」
「……イヤです」
「なに、上司の指示に逆らおっての?」
悦子は、ふっ、と軽蔑する笑いを浮かべて、「始末書嫌がんのは分かるんだけどさ? ウジウジしてないで、とっとと手配してよ? 客先にもアポイントメント取ってさ」
「だから、イヤですって」
だだを捏ねているのだと思った。だが正面の平松は泰然としたまま、むしろ口元に軽い笑みを浮かべている。悦子は傾けていた身を起こし、呆れる笑みを強めた。
「ちょっと、本気で言ってんの? とっととやってよ」
「イヤです。チーフが処理してください」
平松はテーブルの上の紙を取り上げ、「チーフの指示した数量どおりに発注したせいでこうなったことにしませんか? それだと起票と査閲承認が両方通ったこととも辻褄が合います」
平然と言う平松に声を荒げようとしたが、紙から目を上げた平松の目が本気で、しかも悪逆の光を宿し始めていることに一瞬詰まった。
「あんた、頭おかしくなったんじゃない? 私にかぶれって言ってんの?」
「そのとおりです」
「……」
平松がじっと見つめている。最初は悦子を見据えて説得しようとしているのかと思ったが、どうも目線の焦点が自分の顔に合っていないような気がする。ふと視線を浴びている場所に目をやった。座って組まれている美脚を包むストッキングが吸い込まれているタイトスカートの裾のあたりを見ているように思えた。まさかこんな時に、と思ったが、何度確認しても、平松は自分の下肢を眺めている。