動揺の果てに迷走する想い-1
【動揺の果てに迷走する想い】
激しい雨がフロントガラスを叩いた。やはり台風は進路を変えず、そのまま直撃したようだ。オレは運転する車のワイパーの速度を最速にした。
千尋にはあんな風に言ったが、いきなり、千尋の祖父の家にはさすがに行くことはできない。まずは、一旦引き受けた関係上、慎吾に断らなければならなかった。オレは土砂降りの雨の中、車の先を病院に向けた。
しかし、どう言えばいいんだろうか?
『千尋に誘惑されて困っている』
闘病に専念している友人に、ストレートにそんなことが言えるわけない。
もやもやと考えながら車を運転している内に、思い浮かぶのはその千尋の若々しい裸体だった。それを振り払おうと思えば思うほど、ありありとその肢体が目の前にチラついた。
『じいさんと話しが付いたら、今夜にでも行って貰うから準備しとけよ!』
千尋に向かって吐き出した言葉と共に、千尋の泣き顔が浮かんだ。念押しをしてまで言わなくてもいいことだった。ましてや直情的に怒鳴ることは無かった。今更ながらに自分の狭小さに苛々した。
千尋に迫られて、どうしてあれほど動揺したのか。
答えは自ずと出てきた。相手からの告白を待ち続けて、自分の気持ちを言いだせないまま後悔し続けた。その知子と知り合ってからの18年間の後悔を、千尋に見透かされたと思ったからだ。勿論千尋にそんな思いは無かっただろうが、オレはストレートな千尋に動揺した。
ふと気付くと、前を走っている車のブレーキランプが間近に迫っていた。ハッとしたオレは、慌ててブレーキを踏んだ。辛うじて追突を免れたが、激しい動悸がしばらく止むことはなかった。
ダメだ。動揺が広がる一方だ…
信号が青に変っても気付かず、後ろの車の苛立ったクラクションを聞いて、モタモタと車を進めた。
運転に集中し、なんとか病院に辿り着いた。面会時間が過ぎていたが、警備に身内と偽り通して貰った。
消灯時間を過ぎた4人部屋、その病室の右側奥に進み、そっとカーテンを引いた。その音に反応し、暗がりの中の慎吾の目がこちらを凝視した。
「浩太か?」
「起きてたのか…」
「ああ、何だか変な夢を見て寝付けなくてな。それよりも何があった?」
こんな時間に来る異常を察し、痩せ細った慎吾が怪訝そうに聞いた。
「ああ、それなんだが…」
まだ整理が付かないオレの言葉は途中で止まってしまった。そんなオレを慎吾は黙って見続けた。
凄く落ち着かない。
弱々しい姿になりながらも、それが却って慎吾の目に凄みをもたらせていた。その目に見据えられることで気が逸ってしまったオレは、何かに憑き動かされるように自分でも気付いていなかった言葉を口走っていた。
「どうやら千尋のことが好きになったみたいだ。このままでは自分が抑えられない…」
言ってから自分でも驚いた。言ってから自分でも気付かされた。いや、本当は気付いていたのだろう。千尋を前に動揺し、思わず怒鳴ったあの時だ。
あの時、オレは18年間の後悔を見透かされたと思って動揺したのではなく、本当は自分の気持ちに気付いて動揺したのだ。オレは自分の気持ちに狼狽え、それを誤魔化すために、大人げなく怒鳴って千尋を傷つけてしまった。
胸が痛い…。オレは自分の情けなさに目をぎゅっと閉じた。そんなオレに慎吾は答えた。
「そうか…」
オレの絞り出すような告白に、慎吾は感情を高ぶらせることもなく、ただ一言そうつぶやいた。慎吾からの罵声を覚悟していたオレは、何だか拍子抜けしてしまった。
「こんな気持ちになったままで、千尋をこのまま家に置いとけない。知子の実家に掛け合って、千尋を預かって貰うつもりだけどいいよな?」
自分を抑えるためにも千尋から距離を置きたい。オレは慎吾にその同意を求めた。 しかし、慎吾はオレの問いに答えなかった。
「千尋はどうしてる?」
先ず、1人残された千尋のことを聞いてきたのは、親としては当然のことだろう。オレは正直に答えた。
「家で泣いてる。オレが怒鳴って『じいさんの所に行け』と言ったからだ」
「そうか…」
さっきと同じ言葉をつぶやくと、慎吾はしばらく病室の一点を凝視しながら、何かを考え始めた。