動揺の果てに迷走する想い-2
しかし、何も言わない慎吾を見ているのも辛くなり、痺れを切らしたオレは堪らずに声を掛けた。
「慎吾、さっき言った知子の実家の話だけど、聞いてたか?」
しかし、慎吾がまたそれに触れなかった。
「なあ、千尋を連れて来てくれないか」
「今からか?」
驚いたオレは聞き返した。それに対して、またもや病室の一点を凝視してから慎吾が答えた。
「いや、今日は疲れたから明日にしてくれ。とにかく2人で来て欲しい」
「わかった。それよりも今から知子の実家に話を付けに行く。いいよな」
このことの了承を得ないと、自宅には帰れない。
「悪い、それは千尋と話をしてからにしてくれ」
「お前、オレの話を聞いてなかったのか?今のオレは千尋と2人っきりの所には帰れないんだ」
オレは慎吾の無神経さに呆れ返り、病室であることも忘れて声を荒げた。
「とにかく、明日だ。頼む、お前だけが頼りなんだ」
慎吾のやせ細った手がオレの腕を強く掴んだ。どこにそんな力を秘めていたのか、オレは慎吾の気迫に思わず頷いてしまった。
帰路は気が重かった。どんな顔をして千尋に会えばいいんだろう?寝ていてくれたら助かるが、荷物を纏めておけと言った手前、声を掛けなければならない。
慎吾の前で思わず口から出た言葉で、自分の本当の気持ちに気付いたオレは、今は千尋が愛おしくて仕方が無い。まるで18年前の知子に対しての熱い想いを、そっくりそのまま千尋に当て嵌めてしまったみたいだ。
親がダメならその娘に。我ながら節操の無さに呆れ返るしか無かった。
まるで豊臣秀吉だな。
信長の妹、お市の方への想いを遂げれなかった秀吉は、その娘の茶々を妾にした。やがて茶々は日本史に残る悪女【淀君】と化して豊臣家に君臨し、豊臣家を崩壊に導いた。歴史上の人物に自分をなぞらえてゾッとした。しかし、急激に火が付いた想いは、抑えることはできそうにもない。
千尋が愛おしい。
だが、これは決して許されない想いだ。そう思えば思うほど、オレの気持ちは大きくなる一方だった。
自宅マンションの駐車場に到着した。しばらく踏ん切りが付かず、フロントガラスに叩きつける雨を見ていたが、いつまでもここに居る訳にはいかない。
とにかく、自分の想いを悟られることなく、明日一緒に病院に行くことだけを伝えよう。
覚悟を決めたオレは車の扉を開けると、土砂降りの雨の中、小走りにマンションに掛け込んだ。そして自分の気持ちを鼓舞しながら自宅の扉を開けた。
直ぐに違和感を感じた。千尋が来て以来、久しぶりに味わった慣れ親しんだ感覚だった。それに慌てたオレは廊下の灯りを点け、靴を脱ぐのももどかしく、真っ暗な居間に駆け込んだ。
「千尋!」
大声で呼んだが返事はない。灯りを点けても誰も居なかった。オレは廊下を駆け戻り、ノックもせずに千尋に貸し与えた部屋の扉を開けて叫んだ。
「千尋!」
オレの叫び声が、ガランと片付けらた部屋に反響した。
オレはマンションの部屋を飛び出した。
車を運転しながら、緊急事態だと自分に言い聞かせて、片手ハンドルで千尋の携帯電話に電話した。しかし、コールはするが一向に出る気配は無かった。30回ほどコール音を聞いてから電話を切り、次に慎吾に電話をした。しかし、こちらは電源が切られていて、直ぐに留守番電話に切り替わった。無駄と思いつつ折り返すように吹き込んだ。
とりあえず、慎吾の自宅へと車を向けた。しかし、慎吾の家の中は真っ暗で、人の居る気配は無かった。緊急用に預かっていた鍵を使って中にも入ったが、やはり千尋の姿は無かった。