友人の娘-1
【友人の娘】
スラリとした足がオレの目の前を過った。久し振りの生足に一瞬ドキッとしたが、それが千尋の足だったと気付き、オレは跳ねた心を沈めようとした。しかし、一旦跳ねた心は直ぐにはお治まらない。
千尋のクセに。
オレは少し変な悔しさを覚えて、その反動を千尋にぶつけた。
「おい、千尋、お前も年頃なんだから、オレの前でそんな格好で歩くなよ」
「だって浩太にい、家ではいつもこんな感じだよ」
千尋はTシャツとホットパンツ姿で平然と答えた。
「襲っちまったらどうするよ」
「きゃあ、襲って襲って〜」
子供の頃から知る気兼ねの無さからか、千尋はTシャツの裾をピラピラ捲ってへそを見せた。
「バカ、オレが千尋を襲うわけないだろ」
「う〜ん、そんなこと言わないで〜」
千尋はおどけて腰をくねらせた。
「部屋に行ってろ、飯が出来たら呼ぶから」
「あっ、いいよいいよ、浩太にい、あたしが作るから」
申し訳の無さからか、千尋は少し慌ててふざけるのを止めた。
「いやいや、今日はオレが作るから邪魔するな。明日から順番な」
「は〜い。じゃあ今日はお願いしま〜す。あっ、浩太にい、あたしハンバーグがいいな」
「わかったわかった。ほら、しっしっ」
ハンバーグか。まだまだガキだな。オレはさっきドキッとした自分の節操の無さを笑った。
高校の時のクラスメートだった真下慎吾とは、知り合ってから18年が経つ。前触れもなくオレの自宅に訪れたその友人から、突然入院することを告げられた。
「何だって?どこが悪いんだよ?」
「ここんところ体調が悪くてな。暫く静養することになった」
詳しい病状は語らなかったが、話の端々を繋ぐと早期の癌で、場合によっては手術をするそうだ。
「早ければ1月、長引いても3ヵ月くらいになりそうだ」
慎吾はオレが頼みごとを引き受けると、安堵の表情を浮かべて帰っていった。慎吾が帰った後の扉を見ながら、古くからの記憶を辿ってみた。いくら考えても慎吾に頼むことは有っても、頼まれたことは記憶に無かった。知り合った当初から頼り甲斐のある友人だった。
1つだけ思い付くが、それはオレが直接叶えたわけではなかったから除外だ。オレは友人の役に立てたことが少しだけ誇らしかった。
慎吾のことを考えると、自然ともう1人の顔が浮かんでくる。と言うのは嘘だ。慎吾が切欠で無くても、この18年間、その顔がオレの頭から消えることは無かった。
知子…。
溌剌とした知子の笑顔を思い浮かべたオレは、1人の部屋の中で思い出し笑いを浮かべた。しかし、その知子の笑顔が、本当の意味でオレに向く事は無かった。オレの心は沈んだ。知子はオレでなくて慎吾を選んだからだ。
「知子と付き合うことになった」
「そうか、良かったな」
オレは自分の想いを封印し、慎吾と知子のカップルを祝福した。
以来18年間、慎吾一家とは家族ぐるみの付き合いをしていた。と言っても、34歳になった今でも、オレは独身のままなので、オレが慎吾一家にへばり付いているだけなのだが。
慎吾と知子は20歳の時に籍を入れた。その時には既に当時2歳になる子供が居た。知子は高校2年生で身籠り、その次の初夏に女の子を生んだ。知子の妊娠を快く思わない厳格な両親は知子を勘当した。
元々母子家庭だった慎吾は、知子と赤ん坊を養うために高校を中退した。
「オレに任しとけよ。オヤジに頼んでやるから」
オレの父親が不動産業を営んでいたので、顔の広い父親に相談したところ、取引先の司法書士事務所を紹介された。そこの所長に気に入られた慎吾は補助者として働くことになった。
これが慎吾からの唯一の頼まれごとだったのだが、世話を焼いたのは父親だったので、頼まれごとリストにはカウントできなかった。
慎吾はリストに漏れたこのことを、ずっと恩義に思ってるようだ。時々そのことの感謝の言葉を聞く度には、かなりコソバク思ってしまった。
頭の回転が速く頑張り屋の慎吾は、働きながら勉強し、合格率3%〜6%の司法書士の国家試験に2回目のチャレンジで合格した。
「おい、浩太、合格したぞ」
まだ大学生だったオレは、その凄さを知らず、わけもわからず興奮する慎吾に「よかったなあ」と言っただけだった。
後で父親に聞けば、働きながらで、しかも高校中退の独学での合格は、トンでもなくレアなケースだそうだ。
慎吾と知子が入籍してから2年後、就職先の司法書士の体調が悪くなり、慎吾が司法書士の登録をして、しばらくその事務所を引っ張る状態になった。
しかし、これはその司法書士の息子が跡を継ぐまでの繋ぎだった。
『真下くんが合格してくれていて助かったよ。悪いが暫く事務所を頼むな』
『もちろんですよ。先生も早く復帰して下さいね』
司法書士の言葉を受けた慎吾は2つ返事で答えたそうだ。しかしその3年後、司法書士は本格的な復帰も叶わないまま他界した。