3. Softly, as in a Morning Sunrise-1
3.
"Softly, as in a Morning Sunrise"
(ひとりずもう)
何だろうこのデジャヴは。……いや、デジャヴじゃない。
美穂はカイノミを引っくり返しながら悦子を見た。この女が部下の、あの冴えない、ルックスに関しては一つも褒める所がない年下男と付き合うと言った時は卒倒しそうになった。それでも何度も飲みに誘われて長々愚痴を聞かされてきたのがピッタリと止んで美穂にとっては平和な半年だった。仕事が終わればそそくさと家に帰っていく。ときどきランチを一緒に取れる時に近況を伺ってみると、ほぼ毎日泊まりにきて半同棲状態とのこと。しかも聞いている美穂の苦痛もお構いなしにノロけてくる。つってもあの平松だろ? ウットリとした顔で自分がいかに愛されているかを語る悦子につっこむことはできなかった。突然メッセージを送ってきたかと思ったら、料理など興味すらなかったのに煮物系のレシピを教えて欲しいと。クリスマス・イヴにはわざわざ青葉台まで予約したケーキを取りに行っていた。挙句の果てには、女は可愛く甲斐々々しいのが一番よねとのたまった。大丈夫かなぁ、この女。まさか靴下とかパンツまで履かせてやってるとかナシにしてほしい。
「……飲む?」
「いい。思い出すから」
何をだ。もう私が飲めなくなっちまうだろうがよ。
柄杓に掬ったマッコリを断り仏頂面で焼酎を煽っている。久々に焼肉に誘われて、店に入るなり焼酎を頼んだ悦子を見て、これはヤバいなと美穂は直感した。ごめんねヒロくん、今日遅くなる。こいつは何かあったに違いないと半ばあきらめ加減に、他愛もない仕事の話題を続けながら悦子の血のアルコール濃度が上がっていくのを待った。
「――やっぱり、簡単に色々許しちゃダメなんだよね」
目元が赤らみ、テーブルに凭れるように崩れ始めた悦子が呟いた。ああ始まった、と美穂は心中身構えて、
「ん? どした。愛しのマシュマロマンが遂に『踏んづけてくださぁい』ってオネダリしてきたか?」
と肉を悦子の小皿に乗せながら言った。悦子に語りかけつつ、あの平松が地面に這いつくばり、悦子が片脚を上げて体にピンヒールをめり込ませて罵っている姿が思い浮かんで、いや実に自然だな、と一人で納得していた。
「んーん、言われてない。私がオネダリしてばっか」
「いや、そんなの言わなくていい」美穂は咳払いをしてから、「じゃぁ、なんかよく知んないけどさ、幸せでいいじゃん? 何をそんなに悩んでんの?」
悦子はアルコールに呆けて潤んだ瞳で中有を眺めながら、
「やっぱさぁ……、より惚れたほうが負けなんだよねぇ……」
とまた呟いた。なんだろう、この人だいぶおかしくなってるな、と思ったが、
「ま、まあそういうもんだよね。しょうがないんじゃん? 好きになっちゃったんでしょ? でもさぁ、あんたがまさかブス専だとは思わんかったよ」
動揺を押し殺すように、わざとらしい笑いでいなそうとした美穂の言葉に、悦子は瞳に光を戻して体をムックリ起こすと、バン、とテーブルを叩いて、
「ちょっと! 人の彼氏をブスとか失礼なこと言わないでくれる!!」
と強い剣幕で言った。目がマジだ。本気で怒っている。ちょ、あの平松だよ?
「ごめんごめん、そんな怒んないで……」
「そりゃぁね、あいつに私はもったいなさすぎると思うよ? でも、すっごく私のこと求めてくるの。顔ばっかカッコイイ奴だって、ここまでトロトロにはしてくんないと思う。……顔じゃない、顔じゃないんだよ、美穂……」
「そうですね、すみませんでした」
(ヒロくん、助けて……)
前より面倒さがパワーアップしている。美穂が早速心が折れそうになって懸命に自分を鼓舞している前で、悦子の口角がへの字に落ち始めて鼻を啜り始めた。目が赤くなっている。酔いのせいではない。
「ちょっ、悦子!?」
「なんでさぁ……、したいこと、ぜーんぶ、させてあげて、んのにさぁ……」
涙声で濁った声で悦子は嗚咽にくぐもりながら、「やっぱ、男って可愛くて若い女が好きなんだぁ……」
美穂はすぐには声をかけることができなかった。悦子が感情を露わにして泣いたところを初めて見た。一気に血中濃度を上げたアルコールが悦子をより腫れ物にしている。
「ど、どしたの?」
「どうもこうもないよ」
「いや、それじゃわかんないし」
「ねえ、美穂ぉ。ダンナにメッセ送って聞いてみてよぉ……。『やっぱり若くて可愛い女が好き?』って」
できるわけない。夫のことだ、突然美穂からそんなメッセージを受け取っても直ぐ様、『バカだな、美穂が一番に決まってるだろ』などと返してくるに違いない。その想像にニヤけそうになりながらも、それを悦子が見た後の反応が恐ろし過ぎてとてもその通りにはできなかった。
「てかさ、そんなこと言うってことは、まさかあのマシュマロマンが、ってこと?」
信じがたかったが文脈を解釈するとそういうことになる。美穂は心の平穏を保とうと、平松が悦子に隠れて若くて可愛い女をモノにする姿を想像して辻褄を合わせようとしたが悉く失敗した。