3. Softly, as in a Morning Sunrise-15
「いっぽうの木枝彩奈ちゃん。ウチの会社じゃ恐らく10年に一度の上玉だ」
「うん」
あれあれ素直じゃん。こんな必死なの初めて見るわ。
「……権藤チーフさんよー、落ち着きなよ。普通考えてさ、あれほどの子が彼氏いないなんてあるわけないじゃん?」
「新歓のとき、いませんって言ってたよ?」
「色めきだった酔っぱらいのオッサンらに囲まれて訊かれたんだろ?」
美穂の指摘は的を得ていた。「そりゃその場では、いません、って言ってもおかしくないよ」
「でも……」
悦子は拳を口元に当てて俯いた。「わたしも、あいつに会うまで彼氏いなかった」
意味がわからない。美穂は肩を竦めて、
「じゃさ、あんたにはどう見えてるか知らんけど、まぁ、どー見てもイケメンとは言いがたいマシュマロマンがだよ? 彩奈ちゃんレベルの子に言い寄って、仕留められると思う?」
「そんなのわかんないじゃん。わたしだって――」
「ああ、もういい。わかった」
あんたは勢いで先にヤッちまって落ちたのか落としたのかよくわかんないだろ、とつっこんでやろうかと思ったが、耐久力が落ちている悦子には酷な指摘かもしれないからやめておいた。平松にそのつもりがあるのかどうかは知らないが、悦子が歪曲した見方をしている彩奈は、冷静に見て平松なんぞ相手にするわけがない。何故にフタ桁年下の新入社員の女の子と足を止めて殴り合おうとしてるんだ。
「とにかくね、彩奈ちゃんとやらは、天然なんか計算なんか知らんけど、魔性ってもんを持ってんだろ。よく喋ってるってのも、あんたが席に居なくちゃド真ん前にあんたの彼氏しかいないんだから、そこに話しかけるしかない、ただそれだけ。席立って別の人の所聞きに行ったら、それこそおかしい。つまりね、どう考えたって彩奈ちゃんがマシュマロマンに本気になるとは思えん。あんたは本気なんだろうけど、……えっと、あんたは特殊なの。そう思いなさい」
「そう……、かな」
「担当上司がそんなメラメラしてたら可愛そうでしょ?」
「そう……、だね。あ、でももちろん、イジメたりはしてないよ?」
メラメラしてたんかい。しかし、もし平松程度の男が浮気心を起こしているなら、懲らしめてやらねばならんな。美穂から見ても悦子は美人だと思う。そして女にも好かれる、新入社員をイビるなんて陰湿なことをできるはずもない気持ちいい性格だから、この先もずっと友達でいたいと思える。こんないい女で明晰だった悦子を把握力を鈍らせるほど不安にさせるなんて全くけしからん。
「ま、あんたの言うとおり、甘やかしたらだめだな」
「やっぱり?」
「そりゃそーだよ。彩奈ちゃんに相手にされよーがされまいが、あんた置いて浮気しようって試みる時点で許しちゃいかんだろ」
「やっぱり?」
「蔑ろにされそうなんだったら、突き放してやりゃいいじゃん。甘い顔してるから、あんたキープしといてつまみ食いしようとするんだよ。浮気は許さん、したら別れるくらい言ってやれっての。あんたのほうがずっとオトナなんだから」
「やっぱり? ……うん、そうだよね」
悦子は焼酎を煽って、「初めての女が私だもん、いきなりラスボス倒せましたって勘違いしてきっと有頂天になってるんだ。まだレベル足らないのに中ボスに向かおうとしてるんだ。ビシッと言ってやらなきゃ」
自分をボスキャラになぞらえたあたりは言い得て妙だが、いつの間にか彩奈を格下扱いしているし、ラスボス倒したんならその時点でゲーム終わってるだろと、いまいち悦子に伝わっているのか不安になったが、ビシッと言うらしいし、うんそうだよ、と美穂は言った。
シャワーを浴び終わった夫が脱衣所でドライヤーをかけている音が聞こえる。美穂は残ったワインを飲みながら出てくるのを待っていた。ソファに座ってテレビを見ているが、ニュースの中身は頭に入ってこなかった。今日は金曜日だ。付き合っている時に二人で見に行った映画のテレビ放映がちょうどやっていた。恋愛映画ではなくアクション映画だったが、ワインを飲みながら当時の二人の思い出話をするとムードが盛り上がってきた。あの時よりも好き? 気分が盛り上がって聞いてしまった問いに夫は額に軽くキスをして応えた。一緒に入りたがっている夫を焦らし、酔っ払ったから先にお風呂入るね、とシャワーを浴びに入った美穂は、夫に内緒で購入した赤いランジェリーを選び、夫とお揃いの真っ白のシルクサテンに隠して出ると、どうぞ、と夫を促した。風呂あがりに頬を上気させている妻の艶っぽい瞳に、夫は期待を滲ませた顔で鼻を膨らませて風呂に入っていった。
ヒロくん今日はきっとスゴいな。
美穂はワインに唇を濡らして、明日晴れるというし、朝一番に洗濯機を回したかったがまあいいかと、クルクル回すワイングラスの中に映る人妻を、幸せ者め、と眺めた。