英雄-1
今現在も「キセキ英雄」と言われる馬がいた。馬名はサクラノキセキ。名前のとおり数々の奇跡を巻き起こした馬だった。
無名の厩舎に、難産を経て一匹の牝馬が産まれた。
その馬は出産予定日よりも一週間も早く産まれ、生命の安否が心配された。
だが、10分も経たないうちに自力で立ち上がり、母馬に身を寄せた。
厩舎の人間は、皆ホッと胸を撫で下ろした。
その中に、園崎桜と言う少女がいた。
彼女も出産予定日より早くに、難産を経てこの世に誕生していた。
厩舎のオーナーである桜の父親は、彼女に因んでその子馬を「サクラノキセキ」と名付けた。
桜が中学三年生の時だった。
それから二年が経った。
桜は学校が終わると真っ直ぐに帰宅し、サクラノキセキと戯れていた。
「桜とサクラは仲良しだな」
「お兄ちゃん!」
お兄ちゃんと呼ばれたその男は、青井拓と言う騎手だ。
拓は桜とは幼馴染みで、桜はとても慕っている。
「調子はどう?」
「俺は万全さ。サクラも走りたがってるみたいだしな」
サクラノキセキの黒い体を、優しくブラッシングしながら、拓は希望に溢れる瞳を向けている。
もうすぐサクラノキセキのデビュー戦があるのだ。
「絶対、ぜーったい勝ってね!」
「あぁ…勝つとも」
拓は力強く答えた。
そしてデビュー戦を迎えた。
サクラノキセキは最高の状態でレースに臨んだ。
そして、四馬身差という力強い走りで圧勝した。
しかし…
「大丈夫なんですか」
レースを終えた拓は病院にいた。
「あぁ…なんとか一命は取り留めたようだ」
桜の父は俯き加減で答える。
「だが、安心はできないらしい」
「そうですか…」
桜は自転車を飛ばしていたらしい。おそらく、サクラノキセキのデビュー戦を見るためだろう。
その途中で、大型トラックにはねられた。
完全に治すには、莫大な費用がかかる。
たとえ売れるものを全部売りさばいても、とても足りる額ではない。
「桜…」
拓の頬を涙が伝った。
それから桜は一度の手術を経て、何とか話せるようになった。だが、四肢はまともに機能せず、目も片方でしか光を得られない状態だった。
「桜。水飲むか」
「…うん」
拓はそっと水を口元に運んだ。
「お兄ちゃん…」
「ん?」
桜は絞り出すように問い掛けた。
「サクラは、元気?」
「あぁ」
「よかった…次のレースは?」
「二週間後だ」
「そう…絶対勝ってね」
「わかった。わかったよ」
「約束よ…」
「あぁ。約束だ」
拓は桜の手を強く握り締めた。