2. Sentimental Journey -8
「知ってる人乗ってたらどうすんの?」
「そん時はデッキで待ってる」
改札の方へ歩き始めながら、今は誰も知っている人がいないのに小声で続けていた。
「そんな……」
二時間以上そんなことはさせられない。困った様子で言葉を探している悦子へ、改札の前で足を止めると、
「行きたいんだ、一緒に。いいでしょ?」
と強めに言われた。彼氏にそんな真顔で一緒にいたいって言われて喜ばない女がどこにいるんだ。こんな場所で朝っぱらから胸を疼かせながら、改札入ったら『仕事』の時間だね、と言って平松が入っていく姿に溜息をついて後を追った。
パンフレットに掲載されている知らない企業を携帯で調べつつ、時折自分には目もくれず売店で買った雑誌を面白そうに読んでいる平松をチラチラ見ていると、何度か目が合った。
「何ですか、チーフ?」
何ですかじゃねぇよ。一緒に来たいって言ってたくせに、何でマンガ読んでヘラヘラしてんだよ。
「べつに……」
敬語で、しかもチーフ呼ばわりしてくるということは、平松にとって今は恋人の時間ではないということだ。改札前で言われたとおり、確かに移動しているとはいえ給料が発生している時間だから仕事中だ。平松が正しい。しかし幸い車内には知った顔はない。乗客はビジネスマンが多く、悦子と私服のふくよかな青年との組み合わせは珍奇だろうが、ビジネスマン氏達とはどうせ新大阪までの旅程で一緒になっているだけだ。気にすることはない。
ああそうですか、ほったらかしですか。
悦子はイライラを溜めながら一通り企業を頭に入れると、パン、とわざと大きな音を立ててパンフレットを閉じると、組んでいた脚を下ろし、座って裾が上がって脚が見えてしまっている所を隠すように置いた。後ろの人に声をかける余裕もなく背もたれを倒して身を委ねた。目を閉じる。
「新大阪についたら起こします」
気つかってるつもりかと、更に苛立ちを覚えながら、
「そうだね。昨日遅かったからちょっと眠いんだ」
昨日誰かがもう一回もう一回と迫ってくるからだとは言わず、鼻から長い息を漏らして腕組みをした。
本当に一言も絡んでこなかった。ずっと目を閉じていたが、全く眠っていない。起こしてでもいいから、何か話をして欲しかった。一緒に行きたいなんて言っておいて何か他に目的でもあるのかと勘ぐりたくなる。目を開けて何かゲームのイベントでも大阪で開かれているのではないかと携帯で調べたかった。
京都で起きたフリをして目を開ける。
「まだですよ」
「京都から新大阪はすぐだよ。大阪来たこと無いの?」
「はい。初めてです。修学旅行で京都までは来たことあるんですが」
観光目的か? 私が仕事してる間に遊びまわるつもりだな。平松は有休なのだから、遊びまわってもいい筈なのだが悦子は車窓を高速で流れていく不機嫌な景色に目を向けながら、
「どっか行きたい所あんの?」
と問うた。
「いえ、別にないですよ。来た目的は乗る前に言ったじゃないですか」
じゃ、何で二時間無言だったんだよ!
では新幹線の中で平松にどうして欲しかったのかと言われると、悦子にも具体案はなかったのだが、それは強引に追いてきたほうが考えることだ。もし今日の帰りも同様だったら名古屋までにキレる自信があった。ミュージックベルの音が車内に流れた後、苛つかせるほど明るいアナウンスの声が新大阪への到着を告げた。その後車掌が乗り換えの案内を始める。新大阪止めの新幹線だったから、車内は網棚から荷物を下ろしたり、脱いでいたスーツのジャケットを着こみ始めたりと慌ただしくなった。ホームに入る前から出口に並び始める者もいる。降車に並ぶ列が落ち着いてから席を立った。手首の時計を見ると十一時を少し過ぎたところだ。十三時から始まる各社合同の商品デモには十分間に合う。ホームを歩きながら少し後ろを平松がついてくる。一度振り返ると、初めての大阪の景色にキョロキョロとしていた。
「あまり、街ではないですね」
「そりゃそうだ。まだここ新大阪だもん」
わざと冷たい態度を取って改札を抜ける。もうここで別れてしまっても良いのに、コンコースにヒールを鳴らしながら颯爽と歩く悦子に平松はずっと追いてきた。何だこの組み合わせはと、すれ違うビジネスマンが一瞥をくれてきた気がした。不機嫌なビジネススタイルの華やかな女と、キョロキョロとしているパーカーの丸い男。男と女の関係なんて誰も思わないだろう。新幹線の改札から遠く離れた御堂筋線まで来ると、路線図から目的駅を探す。もちろん事前に調べてはあるが確認だ。
「どこまでですか?」
「中ふ頭」
平松は見上げた路線図の中から漸く見つけて、
「殆ど端っこですね」
と言った。東京のICカードでも相互利用できるから切符を買う必要はない。だから平松が結局どこまで行くつもりなのか分からず、話の流れで訊いてみたかったがやめた。怒っているのを分からせたい。地上ホームに滑りこんできた御堂筋線に乗り込み、つり革に捕まっている間も中吊りに目を向けて悦子は一言も発しなかった。目線を移す途中で平松の方をみやると、窓の外を並走する新御堂筋や淀川の景色に夢中だったのでますます不機嫌になった。