2. Sentimental Journey -15
「悦子……」
キスをしながら囁かれる。そして普通の女ならば、こんな男に熱っぽく名を呼ばれたら寒気がするのかもしれない。だが悦子は幸せなその言葉に身を更に密着させて、体を揺らして擦りつけた。ジーンズの向こうに一箇所だけ硬くなった場所を感じる。
「……少し、筋肉ついたかもしれない」
平松が小さな声で言った。
「うそ?」顔を離して悦子が平松の体を見下ろす。「どこが?」
「まだ、……全然だけど、筋トレしてる。肉に隠れてるけど、ちょっと腹筋付いてきたと思うんだ」
悦子の手を取ってパーカーの上から腹を押させる。ぷよんという感触しか指にはもたらされなかった。
「えと……、まだ全然わかんない」
平松のとぼけた話に、腹の下に筋肉ってお相撲さんか、と思っていると、
「もっと頑張って、悦子の好きな体になる」
と言った。
「ムキムキまでは大変だから無理しなくていい」
「ううん、頑張る」
平松が耳朶に唇を這わせながら、「早く悦子好みの男になって、好きになってもらいたい……」
悦子はパッと顔を離した。目を細めて鋭い眼光を向けてくるのを、平松が瞬きをしながら不思議そうに見る。
「バカ」
「え?」
「……バカッ。バーカ、バーカ」
「悦子?」
平松を罵倒している間に、目頭が熱くなって涙が頬を流れた。好きになってもらいたい、その言葉が悦子を衝動に走らせた。朝、新横浜の改札前で一緒にいたいといって喜ばせて、新幹線の中では苛立たされて、そして仕事から戻ってきたら手繋いできた。その間じゅう、悦子は振り回されっぱなしだった。何故そんなにも憤ったり、嬉しがったりするのか、観覧車の中で悦子自身ハッキリ分かった。
「なんでそんなにバカなの? 誕生プレゼントもらって『ありがとう』っていったじゃん」
「うん、言ってくれた」
「抱きついたじゃん」
「うん、うれしかった」
「……」
あんだけ全身からハート出てたのに見えてなかったのか? モテない男はこれだから困る。「私もうれしかったんだよっ! プレゼント、もらって超うれしかったのっ! 泣くかと思った。……あんなさー、夜景キレイな暗いところでくっついて、サプライズなんかされたら、誰だってヤバいじゃんっ!」
とまくしたてた。微笑みで見守っていた平松は悦子の言葉にだんだん真顔になっていきながら、
「俺、悦子が大好きだよ」
と言った。漫画なら線が細く背の高い頗る端麗な男が乙女に向かって言う台詞だ。対極にいるような平松が同じ言葉を吐くと、悦子は自ら唇を押し当てて、頭を巡らせて熱情的にふるいついた。二人きりだ。ラブホテルに来る理由は一つだ。年上だの上司だの体裁に気を遣わなくても良い筈だ。
「……好き」
「ん? 何……?」
(コイツ……)
明らかに聞こえているのに訊き返してきた平松の顔を両手で掴んで額を擦りつけて睨んで、それからゆっくりと目を閉じた。
「私も好き。……好きになっちゃった」
「ホント?」
「ウソだったらどんだけ気が楽なんだよ。……でもいい、好きになったって認める。認めなきゃアタマ破裂する」
「会社では皆に知られないようにする。悦子の迷惑にならないようにする」
平松も悦子の側頭を両手で挟んで唇をついばみながら、「いつか悦子に相応しい男になって、悦子が色々悩まないようにする」
「何でそこまでしてくれんの?」
「……言ってほしいんだ?」
「バレてる」
悦子は涙に濡れて苦笑いをしながら、「今日言ってほしいの知っててさんざん焦らしたろ?」
「バレてた」
平松も笑った。
「私、きっと超めんどくさいよ? いいの?」
「めんどくさくない。イライラしたりする悦子も可愛いもの」
「なんだよっ、それっ」
愛の告白をさせておきながらムカつく事を言われて、ここでふくれっ面の一つでもしようものなら本当に可愛い女になりきれるのに、悦子は怒りに濁った声で平松にこんと軽く頭突きをした。痛いよ、と言われて唇を重ねられる。深く入ってくる舌は、仕返しにしては割に合わないほど強烈で悦子のムカつきを奪っていった。
「俺からは可愛く見えるよ。歳なんか関係ない。権藤って苗字も関係ない」
「んっ……、本当だなっ……。た、多分、歳とるごとに、……っ、……めんどくさくなってく自信ある……」
「歳とらないと、次の誕生日も、その次も一緒にいれないよ?」
「そうだった……」
鈍感で苛立たせるくせに、悦子の反駁をもろともせず深く心の敏感なところに突き刺してくる。
「俺も……、変態だとおもう」
「うん、モロ伝わってる」
「悦子が意地悪されて恥ずかしがったりするのが好き」
平松の手が頬を離れ、抱き合った正面から片手でタイトスカートをたくしあげてくる。荒々しい、不躾な手だ。とても情愛に満ちた蜜月に浸ろうとしている時の手遣いではない。だがその所作は悦子を更に平松へ駆り立てて舌を差し伸ばさせた。