倒木のうつつ-2
肉の大茄子(おおなすび)に目が釘付けになるのをこらえ、おゆきさん、与可郎の尻のほうに回り、ひざまずいて膏薬を貼ってやります。
「さあ、これで少しは痛みが和らぐでしょう」
そう言って与可郎のふんどしを取り上げて差しだしますが、与可郎はぼんやり前を向いたまま。
「膏薬、貼り終えましたよ」
「ん? 終わったか?」
与可郎が勢いよく振り向いた拍子に長い一物がおゆきさんの頬をパチーン。一瞬のことではありましたが、男根の感触と温もりが彼女の頬を通して脳天まで伝わりました。
「あ…………」
頬を抑えて絶句するおゆきさん。その白い手が、自ずと与可郎の股間に伸びます。白魚のような指が一物に触れます。そして、我知らず、そっと握りしめます。すると、
「握手だったら手を握らなくっちゃ。ねえさん、間違ってるよ」
与可郎が手を差し伸べたので、そこでおゆきさんは我に返り、一物から手を離して立ち上がりました。
与可郎は何事もなかったようにふんどしを締め、着物を着ると、
「膏薬、ありがとさん」
との言葉を残し、さっさと出ていってしまいました。
与可郎が総身に対して知恵が少なく、血の巡りがすこぶる悪いということを、おゆきさんが人づてに聞いたのは翌日のことでした。
知恵は少ないが肉竿の量感はたっぷりな与可郎。亭主の一周忌を終え、心の冷えもようやく癒えて春機も顔を覗かせつつあるおゆきさんにとっては、小才のきくまともな男よりも魔羅の大きい抜けた男のほうが魅力的でした。どうにかしてもう一度与可郎と会い、叶うことならば密かに同衾したいと思うようになりました。
一度、往来で与可郎を見かけ、おゆさきん「もし……」と声を掛けましたが、その時彼は暦売りのあとをついて歩いており、「来年の大小柱暦、とじ暦」という売り声に気を取られて、おゆきさんには目もくれませんでした。
青物屋で長芋を見たり乾物屋で棒麩を目にしては与可郎の一物を思い出し、神社に奉納された天狗の面を見ては与可郎の一物が勃起すれば斯(か)くやあらんと胸が高鳴るおゆきさん。自分にこうも淫乱の気があるとは信じられませんでしたが、ひととせ以上も女陰に男根を迎え入れないでいたツケが、ここに至って彼女の身体に生じたもののようでした。
しかし、世にいい男はごまんとおります。往来を行けば誰もが振り向く美貌のおゆきさん。彼女がその気になったなら、かの市川團十郎でさえも落とすことが出来たでありましょう。ところが女心は野郎には推し量れぬもの。今のおゆきさんには世間から馬鹿とさげすまれる与可郎が「いっち寝たい男」でした。
そんな彼女の心の内が誰言うとなくこの界隈の男どもに知れ渡り、与可郎なんかにおゆきさんはもったいない、となって、熊さんや八っつぁんに頼まれてご隠居さんが与可郎に釘をさすことにあいなりました。
「これ、与可郎」
「なんだい? ご隠居さん。なんかくれるのか?」
「どうしてわたしが、おまえになにかあげなくちゃならないんだ」
「ひとあし早いお年玉」
「……二十五にもなる男にお年玉もないだろう」
「なあんだ、くれないの。……さよなら!」
「これこれ、待ちなさい。物はあげられないが、おまえのためになることをひとつ聞かせてあげよう」
「ためになること?」
「まあ、座りなさい。……与可郎。仮に、おまえさんに心を寄せている女がいるとする」
「心を寄せる? ……右に? ……左に?」
「左右はどうでもよい。……おまえを好きだと思う女がいるとする」
「はあ……」
「その女がおまえに声を掛け、茶屋とかに誘うとする」
「はあ……」
「女と男が茶屋に行く。飲み食いするだけの茶屋ならよいが出合茶屋に行って深い仲になったりしたら後が大変だぞ」
「出合茶屋ってなんだ?……」
「出合茶屋とは男女が密かに睦み合う貸部屋のことだ」
「はあ……」
「出合茶屋で深い仲になった後には夫婦となるのが世間の相場」
「はあ……」
「与可郎、おまえは二十五にもなって職にも就かずいまだに親のすねかじりの身。女房をもらうなどもってのほか。相手も苦労するのが目に見えている」
「はあ……」
「そこでだ。そうならないために、おまえにひとつ知恵をさずけてしんぜよう」
「知恵?」
「おまえに言い寄る女があった場合、上手な断り方を教えてあげようというのだ」
「へえ。ありがとさんで……」
「いいか。……女がおまえを誘うような口をきいた時、こう言うのだ。『わたしはじつは、瘡毒(そうどく)にかかっております。あなたにうつすわけにはまいりません』とな」
「瘡毒ってなんだ?」
「梅毒ともいう病のことだ」
「あたい、病になんかかかってないよ」
「まあ、いいからそう言うんだ。……言ってごらん」
「……あたいは相続しております」
「いつおまえが相続したんだ。そうじゃない、瘡毒にかかっております、だ」
「そーどくにかかっております」
「ふむ。そしてこう続けるんだ。あなたにうつすわけにはまいりません」
「……あなたにうつつをぬかすわけにはまいりません」
「うつつじゃない。うつすわけにはまいりません」
「うつすわけにはまいりません」
「そう。よくできた。……女から誘われた時には、今の言葉を言うのだぞ。さあ、忘れないようにもう一度言ってごらん」
このようにして与可郎はご隠居さんから、おゆきさん封じの言葉を授かったのでした。