F.-1
「やー、これで最後の曲だー!」
周りが「えぇーーー!」と悲しげな声を上げる。
もちろん、自分だって悲しい。
もう終わるのか…と思う。
「ありがとーございましたっ!みんなぐちゃぐちゃになっちゃえー!」と楽しそうに笑いながら風間陽向は「It's!」と叫んでベースに指を指した。
アレンジされたのか。
爆音が耳を劈く。
目を閉じてマイクから聴こえる愛おしい声に耳を傾けた。
いつもの場所じゃ聴くことのできない力強い声…。
汗にまみれる姿…。
客と一体になるこの感覚。
他にもバンドは出ていたはずなのに、誰もがこのバンドを待っていたかのように盛り上がる。
楽しそうにハイタッチを繰り返す。
グッと胸を掴まれるような笑顔…。
あいつは、何か持っている。
人を惹きつける何かを…。
瀬戸は横で暴れる航を見て、静かに微笑んだ。
寒くなってきた10月の空気に暖かな何かをくれる。
ますます好きになったよ…風間陽向。
陽向はバッグヤードから階段を降り、大介とハグをした。
「よくやった。陽向ちょー体力あんな」
陽向はクルクルパーマを指に絡め「あたぼうよ!」と言った。
ちなみにこのクルクルパーマはライブ前に楽屋で自分でやった自前のモノだ。
「ひょうきんだなー、陽向は」
大介が陽向の髪をぐしゃぐしゃする。
陽向はキャハハと笑いながら大介の腕をペチペチと叩いた。
「仲いーのな」
その声にハッとなる。
湊がこちらを見ている。
「今日は誘ってくれてありがとな」
湊が大介に手を差し出す。
今日、一緒に演りたいと思ったのはFive woundとその他2つのバンドしか思い浮かばなかった。
今まで一緒に対バンしてきた中で、もう一度聴きたいと思った音楽を演っていたからだ。
「めちゃくちゃ良かった。やっぱ誘って良かったわ」
「こちらこそ。ちょー嬉しかった。あんな人が集まること他にないもんな」
大介が湊の胸をグーで押す。
「五十嵐のドラムに嫉妬するわ、俺」
「は?なんでよ」
「カッケーんだもん。ずるい」
大介はそう言って笑うと湊に「また演ろーな」と手を振った。
先月、顔なじみのライブハウスから声がかかった。
「Hi wayさぁ、ライブやってくんない?」
「え?」
なんでもない木曜日、バンド練を終えて受付に向かった時に店員から声をかけられた。
いつもお世話になっている佐藤さんだ。
「ありがたいっすけど…え、俺らだけ?」
佐藤さんは「まさかぁ!」と笑って大介の肩を叩いた。
「よく一緒に対バンしてくれてるバンドも誘ってよ。毎月ライブ主催してるから…。Hi wayやるって言ったら結構人来ると思うからさ。やろーよ」
佐藤は「ね?陽向ちゃん」と陽向の顔を見た。
「よろしくお願いします!」
大介はニコニコする陽向の頭を掴み、「ボスが言ってるんで、よろしくお願いします」と笑った。
洋平と海斗も笑った。
ライブが決まってからはほとんど毎日練習だった。
早く終わらせないと…。
と、思う日に限ってイベント事が多い。
陽向はパソコンに向かいながら機械のように記録を入れていった。
やばい…患者さんに話聞くの忘れた。
陽向は急いでその患者さんの元へと向かって行った。
17号室。
患者さん…岩本さんは車椅子に座ってテレビを観ていた。
テレビ画面には天気予報が映し出されている。
「岩本さん」
陽向は車椅子の横に跪いた。
「明日も天気良さそうですね」
「そうだね。ここからも見えるかな?」
脳梗塞になってから、岩本さんはずっと個室で、この窓から空を眺めていた。
何の変哲もないこの、同じ景色を…。
「明日は、違う所から空を見ましょうね」
「…えっ?行ってもいいの?」
「すっごくいい所に行きましょう」
「うん!」
岩本さんは満面の笑みを浮かべた。
目的は果たせなかった。
岩本さんの夫に家の状況を聞こうと思ってたのに…。
岩本さんを家に帰すには、それなりの社会資源が必要だ。
それがどこまで整っているか知っておかなければならない。
本当は、岩本さんみたいな人は早期に他のリハビリ病院へと送られているのだが、オペをした心臓外科の先生が「良くなるまでここに居させる」と言ったので今でもこうしてここの病棟にいるのである。
だから、家の状況を聞きたいのだけれど…。
「旦那さん、いつも来てくれますね。岩本さん思いなんですね」
「そんなことないよ」
岩本さんは照れながら笑った。
「今日は来てくれるのかしら?お仕事忙しいから、そんなには来れないの」
岩本さんは心配そうな顔をして言った。
旦那は70歳超えてるし、もう退職して毎日ここの部屋に来ている。
1時間前にこの部屋にいたのに、岩本さんはそのことすら忘れてしまっている。
「大丈夫ですよ。また明日来てくれるって言ってましたから。心配しないで」
陽向が言うと岩本さんは「明日も来てくれるの?よかった…」と笑顔になった。