F.-3
翌日、岩本さんの旦那はいつもより少し遅めの14時半に17号室を訪れた。
ちょうど岩本さんにおやつを持っていったところだった。
「あ、旦那さん。こんにちわ」
「こんにちわー。あ、母さんまた車椅子乗ってる」
旦那はにこやかに笑い「お尻痛くない?」と岩本さんを心配した。
「大丈夫よ。あのね、今日風間さんと向こうの談話室で外の景色見て来たの」
岩本さんは「ね?」と陽向に笑いかけた。
「綺麗でしたね」
「夕焼けも見てみたいわ」
岩本さんはそう言うと、おやつのプリンをスプーンですくった。
しかし手が上手く使えないため、エプロンにボロボロとこぼしてしまう。
「私がやるから…ほら、スプーン貸してごらん」
旦那さんとのやり取りを見る。
本当に優しくて熱心な人だ。
いつだかに「また家で一緒に暮らしたい」と言ってたな。
陽向は微笑んで「じゃあまた伺いますね」と部屋を出て廊下を歩き始めた。
ナースステーションに戻り、とっ散らかった円卓を片付けていると「風間さん」と呼ばれた。
視線の先には岩本さんの旦那さん。
「どうされました?」
廊下に出て談話室へと一緒に歩く。
今日は平日とあって家族の面会も少ないため、談話室には1人で本を読む隣の病棟の患者さんしかいなかった。
窓際の4人掛けの席に座る。
「いつもありがとうございます」
「あはは。いえ…岩本さん、すごく良くなってて…旦那さんが毎日来てくれてるからですね」
陽向がそう言うと、旦那は「家にいてもいつもひとりですから…」と視線を落として微笑んだ。
そこから、ポツリポツリと岩本さんとの思い出を語り出した。
岩本さんとは学生時代から友達だったこと、新婚旅行は京都に行ったということ、食べ歩きが好きで色んな場所に旅行していたこと、脳梗塞になってからのこと…。
「家で毎日3食作ってくれててね。お味噌汁が美味しいんだよ」
旦那は思い出を語りながら涙を流していた。
「これからは私が世話してやらないと…。でも、どうしたらいいか分からなくて。家に帰ったらもっと悪くなってしまいそうで…」
陽向は旦那の背中をゆっくり撫でた。
「また一緒に住みたいんです…どうしたらいいですか?私は何も出来ないんで心配で心配で…」
いつも穏やかに笑っていたけど、先の事が不安でどうしようもなかったんだ。
自分は、旦那さんの表面しか知らなかった。
家の事もちゃんと考えないとな…。
「大丈夫ですよ。しっかりお家の準備して、また岩本さんと一緒に暮らせるように私達も頑張りますから」
「ありがとう…」
旦那から家の状況を聞き、必要そうな資源を考え支援センターに一報を入れる。
『なるほどねー。分かりました。明日、病棟に向かいます。旦那さんは毎日来てるのかしら?』
「ハイ。いつも午後にいらっしゃいます」
『じゃあ明日旦那さん来たらこの番号に連絡して』
支援センターの看護師に「すみません、よろしくお願いします」と言い、陽向は電話を切った。
「支援センター介入させたの?岩本さん」
今日のペアは進藤だ。
記録をしながら陽向には目を向けず口だけ開いた。
「はい。二人暮らしみたいで…やっぱり家に戻りたいみたいです」
「岩本さん自身はどうなの?」
「えっ?」
「旦那さんはそう言ってるけど、本人はどーなの?」
岩本さん本人は他のリハビリ病院に転院するとも、家に帰りたいとも言っていない。
陽向はただ、旦那の要望を受け入れただけだった。
本人の気持ちは全く知らない。
「甘いなー風間」
「……」
「ま、でもちゃんと家族の事考えられてんじゃん。ちょっとは成長した?」
進藤は笑いながら陽向の肩を叩いた。
「プリセプターとして嬉しいわぁ」
本当に嬉しそうに笑っている。
なんとなく、そう感じた。
デキが悪いと思われているけど、ちょっとは期待に応えられたのかな。
「あ、そーだ」
「はいっ?」
「今日この後時間ある?」
「あ…ハイ。あります」
「ご飯食べ行こうよ」
初めての誘いだった。
そういえば、他のみんなはプリセプターとご飯行ったとかそんな話をしていたな。
自分だけ行ってなかった。
ご飯行くのが決まりとかそーゆーんじゃないけど、なんとなく距離あんのかな…なんて思っていた。
この前の瀬戸の言葉も気になるし…。
陽向は笑顔で「はいっ!」と答えた。