1. Someone to Watch over Me-7
(こりゃぁ私、爆発するね、近々)
正面の女の子だけではない、悦子自身も自分の胆力がもたなそうなそうな予感がしていた。
悦子の予感は当たった。自分のことだ、当たるもへったくれもない。
予想通り平松は初日に説明したことは何も入っていなかった。実際やってみてこそ憶えられることもあるのは悦子とて知っている。しかし、初日に半日掛けて教えたことがまるで入っておらず、いざやろうとなったら完全に固まった。そして「できません」のアラームが無い。悦子が気づいて、どうした、と声を掛けて初めて事情を説明する。最初の日に言ったよね?、と極力優しい声音で言いつつ、手を止めて再度教えてやる必要があった。定例業務も、入力パターンはワンパターンではない。平松は一度やったことは停滞なく実行することができたが、パターンが少しでも変わるとまた手が止まった。そんなの少しでも考えたら分かるだろ?、「コレでいいですか?」って持って来れねーのか、悦子は深呼吸をしながら教えた。
平松に課したい業務は社内業務だけではなかった。チームとしての仕事の主軸はむしろ客先を訪問して打ち合わせするところにある。最初は常に悦子とともに行動してもらうが、ゆくゆくは一人で客先を訪問して、各種懸案事項や新規案件を取りまとめてきてほしいと思っている。
「じゃ、今日は関内まで行くよ」
「はい」
悦子が立ち上がると、平松がついてくる。ただついてくるだけで、電車の中でも無言だ。もう慣れてきた? 悦子が話しかけても、はいたぶん、と一言で終わった。悦子相手ですらそうなのだから、客先に言っても平松は声を発することがなかった。初対面の相手には挨拶と軽い自己紹介くらいはするもんだ。
こんにちは、この度、何々様を担当させていただくことになります平松です。……いやあ、私、相模原のセンターのほうにずっと居て、施工ばかりやってたんですが、何とか早くお客様の業務を憶えますんで、色々ご迷惑をかけることもあるかと思いますが、何卒ご支援ください。
腹話術を憶えたいと思った。名を名乗るとともに名刺を渡すだけで無言の平松に、客前で舌打ちが出そうになった。長く悦子と付き合っている得意先の女性担当には悦子の内心が伝わったようで、大変そうですね、という気の毒がる笑みを向けられて、腹立たしいやら恥ずかしいやらで悦子は困った笑いを浮かべるしかなかった。
一週間一緒に働いてみて分かったこと。しゃべらない、動かない。まとめると、主体性がない。言われれば、はい、と言ってやる。言われなければやらない。できそうなこともできない。できないことも言われて初めて表明する。
ちょっ、致命的だろ。
悦子のフラストレーションは、本人が言わないでも、表情と身に纏う闘気で周囲に伝わっていた。権藤さん、そのうちブチ切れるぞ。口から火を吐くんじゃないか、冗談で自分たちの心配を何とか緩和しながら周囲は行末を見守った。できれば自分が外出してる時にしてほしいな。
悦子はミスをした。部品発注の数量を間違えた。いつもならこんなミスはしないのに、平松のために入力途中に手を止めて作業が寸断してしまったのが原因だが、言い訳にはできない。仕入にすぐ電話をして事なきを得たが、数量の確認は留意すべき初歩中の初歩だから、このミスは強く悦子のプライドを苛んだ。電話を受けた仕入担当が、権藤チーフにしては珍しいですね、と言ったのが、単なる感想に過ぎなくても嫌味に聞こえるほど悦子の気持ちはささくれていた。電話を切ってふと目をやると、平松がまた止まっている。画面を見ただけで、何のせいで止まっているのかがわかった。見ただけで分かるレベルだ、これまで何回か教えてやったことのちょっとした応用だ。
「ちょっと」
それを見てカッとなった悦子は、その衝動のままに声を発してしまった。いつもならかかる自重のブレーキを踏み遅れてしまった。「また、そんなので止まってんの!?」
悦子の声がフロアに広く届いた。何人かの視線を感じたが、一度口をついて出てしまっては、もう抑えることができなかった。
「もう、今更こんなので止まってもらうと困るんだけど! 何回同じようなこと教えたらいいの? いい加減にしてほしい。だいたい、ずうっとヤル気ない感じしか伝わってこないんだけどさ? 何か不満とかあったりすんのっ!?」
悦子も気づかぬうちに、椅子に脚を組んで座るとデスクの上に肘をついて拳の上にこめかみを乗せた姿勢で平松を睨んでいた。
「い、いえ……」
「じゃ、何なのよ? あんた、ここまでさ、私が教えてあげたこと、一つ一つただ憶えてるだけじゃん。もっと考えて仕事して!」
「……」
「……ちょっとっ! 何かいいなさいよっ!」
平松は椅子に座ったまま俯き加減に、唇を一文字にして、普段は頬だけの赤みを顔全体に広げて机の上の一点を見つめていた。周囲がシンとなって悦子を見ていたが、だんだん悦子が止まらなくなってきて止めに入るタイミングを失してしまい、一人また一人と雛壇の部長へ目を向け始めた。