1. Someone to Watch over Me-6
「謝るようなことなんですね」
「……まあ、施工にいたから直接の客先経験とかが全くないのは知ってる。営業向きではないんだろうとは思ってた。……が、僕もここまでとは思っていなかった。しかし受け入れたものは仕方がない、としか言いようがないんだ」
部長は少し身を屈めて、更に小声になった。「そんなコワい顔しないで……、余計に萎縮しちまうだろ。そうじゃなくても、せっかくの美人が台無しだよ?」
社内にはセクハラ防止ガイドラインというものがある。色々記載はされているが、とどのつまりは、『聞いた側が不快に思った時点でセクハラ』というのが主旨だ。その点部長は得をしている。タレ目が可愛らしくも見える適度にくたびれた風貌に、いかにもサラリーマンのオジサンらしい言動、そして潔く美しいまでに禿げ上がって光った頭の滑稽さが不快さを醸してこず、しょーがねーなこのオヤジ、という気分にさせる。
「権藤チーフ。部下を育てるのも上司の仕事の一つだよ。最初からできる人間なんていないんだ」
そして冗談めかしてほぐしたあとに、ピリッとしたことを言う。部長のいつもの手口だ。こういう巧さは少し尊敬するところでもある。
「……わかりました」
とはいっても、ふー、と悦子は溜息をついて部長を軽く睨んて自席へと戻った。背後から部長の、「何を置いてもコミュニケーションだよ」という小声が聞こえた。
部長とこそこそ話をしている間に、周囲の人間に挨拶を済ませたのかと思いきや自席に座っているのみだ。部署異動したとはいえ社員IDと社内システムパスワードが変わるわけではないのは誰もが知っていることだが、パソコンにログインすらしていない。ただ椅子に座って、前を向いているだけだ。平松の正面の席で、トラブルプロジェクトから午前中だけ戻ってきた女の子が気不味い顔を悦子に向けた。
「あの……、平松くん」
「はい」
「じゃ、今から午前中いっぱい使って仕事の説明するね」
それだけの時間を割くということは、悦子が今日やらねばならない仕事が後ろに押し出される。つまり残業だ。昨日のうちから覚悟はしている。だから美穂を誘ってガス抜きをしたのだ。
(美穂が変な期待を持たせるから……)
平松の前でもう一度溜息をつきそうになったが、それはさすがに平松に責はないので、すんでのところで押し込んで何とか口元に笑みを湛えた。
「えっと、じゃあ、組織の概要から。PCログインして、社内ポータル開いてくれる?」
「はい」
カタカタカタ、とタイピングは早かった。パソコンのアクセスランプがガリガリと音を立てながらシングルサインオンを完了させるまでの無為の時間を、じっと画面を眺めている。ほら、この間に何か聞きたいこととか、あるだろ? 椅子に座った太ももの上に手をおいたまま、じっと見てても意味のない画面を見続けている。自動的にブラウザが開き、トップページが現れると、
「できました」
と悦子の方も見ずに言った。うん分かるよ、見てれば。
「じゃ、ここ開いて」
画面上の社員向けの組織説明のページをボールペンで指さす。
「はい」
カチッ、クリックするとマウスから手を離してまた脚の上に手を置いた。「開きました」
うん、だから見てたら分かるって。
「えっと……、まず、ウチのチームがどの部署かってことなんだけど……」
画面に開いた組織図を指しながら説明をしようとして平松を見た。椅子に座ったまま手は脚の上だ。行儀いいね。「えっと、メモったりしなくても大丈夫?」
「したほうがいいですか?」
ぐっ、と搾り出るような声を漏らしそうになって、
「そのほうがいいと思う」
と言った。悦子の語尾が若干震えて濁っているのを聞いて、正面の席の女の子がハラハラしている。
「わかりました」
と平松は鞄からノートとボールペンを取り出した。が、ノートは開いたがボールペンは持たずに、相変わらず手が脚の上だ。悦子が説明を続けていく。組織構造の説明、悦子のチームの役割の説明。各関連部署の説明。平松の手は脚の上から動かない。
「……で、業務的には、定例的な仕事……、伝票処理とかのことね、それと、非定例的な仕事、つまり受注案件ね、大まかに二つに別れるの」
おい、コレは資料ないからメモらないとわかんないよ。キミは天才児か?
どうしよう、ここまで甘やかしていいのだろうか、と悦子は思ったが、微動だにしない平松のために、裏紙ちょうだい、と正面の女の子に声をかけた。手を差し出している悦子が眉間にシワを寄せて目を瞑っているのを見て、おずおずとその手に裏紙を渡す。裏紙の紙面に「定例」「非定例」と二つの四角を書き込んで、その下に線を引いてツリーの構造を書き込みながら、
「定期的な伝票は主に2種類あって、それぞれ経理の〆日が違うんだ。平松くんが上げる伝票の査閲は私、承認は課長か部長になるから、リードタイムを考えると、それぞれ3日くらい前には上げて欲しいわけ」
と説明を続けた。一応紙の上は見てくれている。相槌や頷きが無い。