記憶の眼-2
(汐莉ちゃん?)
磯崎家に再び侵入した後、帰路を急いでいると、見覚えのある少女を目にする。
確か恵利子の家に招かれた時に……
《ねぇ、遊ぼう?》
そう言って、無邪気に小首を傾げながら声をかけて来た妹。
僕の中の記憶と想いが交錯し思考が不鮮明になり始めて行く。
「あっ! お兄ちゃん」
道路を挟んで下校途中だった汐莉ちゃんもこちらに気付くと、愛らしい笑顔で手を振りながら駆け寄って来る。
僕はつい先程まで自分が行っていた事への後ろめたさから、気おくれしつつも愛想笑いを返し無難にやり過そうとする。
「お兄ちゃん、ちょっと待ってて」
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、こちら側へやって来ようとしている。
(これだから…… 子供は煩わしい…… )
心中にてそう毒づいていると。
「! 危ない」
きっと子供の視界には、意識しているものしか入らないのであろう?
鈍い衝撃音が自分の身体の中に伝わり、激しい痛みを感じながら次の衝撃を認識した後、意識が薄らいでいく事を感じた。
それでも腕の中にある“柔らかな者”が、無事であった事に安堵を憶えずには居られなかった。
…… …… ……
…… ……
……
(ここは、どこなのであろう? 白い天井に…… 昼光色の照明がひどく眩しく感じられる)
ぼんやりした意識の中にも関わらず、気が付いた僕が最初に思い浮かべたのは“ポケットの中の秘密”であった。
「おやっ、気がついたようですね」
不意にそんな声が耳に届く。
声の主は見慣れぬ紳士であったが脇に並ぶ女性の存在から、それが恵利子や汐莉ちゃんの父親である事がうかがえた。
「こっ、ここは?」
僕は誰にと言う訳でも無く、現実味の無い感覚の声で問う。
「妻の香から話は聞いているよ。恵利子の事ばかりか、汐莉まで本当にありがとう。そして君に迷惑をかけた事をすまないと思っている。親御さんには……」
恵利子の父親と思しき人物から発せられる言葉の数々は、まだぼんやりとする僕の頭にとってひどく解説めいた印象を受けた。
(美男美女のカップルって居るんだなぁ)
それでいてその意識は全く別のところにあった。
しかしそれにもまして、恵利子たちの両親に対する“異常な感覚”を憶えた。
(僕は…… やはり…… この人たちを知っている? …… 知っていた。……石崎敬人)
初対面のはずの人間の名を知っている。
それだけでなく、いろいろな知り得ていた情報が次々と浮かび上がってくる。
「 …… それでどうだろう、不易くん? あらためてと言っては何なんだが、今週末にでも家で食事をと思うんだが? 正直言うと汐莉が君の事を心配していて、是非とも元気な姿を見せて安心させてやってほしいんだ。勝手な事を言ってすまないが…… 」
「はい、よろこんで」
自然とそんな返事をしていた。
上手く表現できないが、なんとも居心地の悪いその感覚から、一刻も早く解放されたかった。
その言葉に恵利子の両親たちに安堵の表情が見えた。
「不易くん、君は“天女”について何か覚えはあるかい?」
退室際、恵利子の父親は、唐突かつ不可思議な言葉を発した。
「ちょっ、ちょっと、敬人……」
それと同時に隣に並ぶ美しい女性は、複雑な表情を浮かべたしなめる様な口調で夫の名を呼ぶ。
《羽衣 矛盾 盾 》
瞬時に僕の中で、幾つかの言葉が浮かんでは消えて行く。
「むかし、子供の時に絵本か何かで読んだ、あれですか?」
まるでその想いを聡られぬ様に反応する。
…… …… …… …… ……
…… …… …… ……
…… …… ……
…… ……
……
ゆっくりと…… 穢れ濁りし眼が開かれる。
「汐莉に香姉さんに敬人さん…… っか? まあ、懐かしいと言えば懐かしい。 敬人さん、随分可笑しなことを口にしていたな? いったい、どういうつもりで、この餓鬼にあんなことを…… いやっ、そんなことはどうでもいい! そんなことより、恵利子の部屋から持ち出したアレは…… どこへ?」
叔父の記憶は互いの意識が入り乱れた中より、それの存在を思い起こす。