手島の経歴-3
少年の様子に悪戯心が沸いた陽子は、睨む少年に対してウインクで対抗した。少年は真っ赤に染まった顔を伏せ、初めの勝負は陽子の圧勝で片が付いた。
「やあん、可愛い〜♪この子何年生?」
陽子が少年の頭を撫でながら言うと、少年は陽子のその手を払いのけた。
「『可愛い』って言うな!オレはもう6年なんだぞ!」
真っ赤になった少年は、再び陽子に挑むように睨んできた。しかし、陽子にそれは通用しない。
「マジ可愛い〜♪」
陽子は少年の頬をツンツンと突いた。
「やめろ!」
少年は陽子の手を払いのけた。
「陽子ちゃん、ごめんなさい。この子『可愛い』はNGなの…」
後で本人から聞いた話では、少年はその愛くるしい容姿により、出会う女達から悉く『可愛い』と言い続けられ、それは同級生でも例外では無かった。少年自身は『自分は強い男である』と意識しているので、『可愛い』と言われると無性に腹が立つようになっていたのだ。
「そっか、ごめんねボク、もう言わないわね」
「子供扱いするな!オレは『ボク』じゃない。オレの名前は手島雄一だ!」
「ごめんごめん『雄一』っていうのね。じゃあ、雄ちゃんでいいかしら」
雄一の目を覗きこみながら、陽子は微笑んだ。
「ゆ、雄ちゃんて…」
強気だった雄一は、ぐいぐいと来る陽子の真っ直ぐな目にたじろいだ。
「じゃあ、雄ちゃん、はじめまして。あたしは各務陽子です。よろしくね」
「お、おう」
すっかり陽子のペースになったので、雄一はそう応じるしかなかった。
これが陽子と、手島雄一の初めての出会いだった。
「悠子はいいなあ。雄ちゃんはお姉さんが好きなんだね」
自分に対して距離を置き始めた星司と違って、姉を慕う弟の存在を羨ましく思った陽子の口から、自然とその言葉が出た。しかし、その言葉は雄一にとって『可愛い』以上の禁句だった。
「違う!オレが姉ちゃんを好きだなんて言うな!オレが付いて来たのは姉ちゃんを守るためだ!」
今まで以上に激しい言葉に、この時の陽子はワケもわからず驚いたが、その理由は追々後でわかることになった。
それは2人の複雑な家庭環境が影響していた。元々身体の弱かった2人の母親は、雄一が幼稚園の時に他界した。当時小学5年生だった悠子は、感受性の強さが影響し、ショックの余りに塞ぐ日々が続いた。
優しい姉の落ち込む姿を見るのは、母親が居なくなった事と同じくらい、雄一にとっては辛くて悲しい事だった。
悠子になんとか立ち直って貰おうと思い、悠子に気遣い、手が掛る年頃にも関わらず、極力自分でやろうとするようになった。
この時芽生えた『姉ちゃんはオレが守る』という意識が、その後の雄一の精神の根本となったのだった。その意識が更に高まる事態がこの姉弟を襲った。
悠子が中学1年、雄一が小学2年生の時だった。この頃の悠子は少し立ち直りを見せ、ようやく明るく笑うようになった。
この時を待ってたかのように父親は再婚をした。微妙な年頃だったにも関わらず、新しく母になった女性が2人に気を遣い、表面上は仲の良い家族生活が始まった。
しかし、不幸は続いた。再婚後、1年を待たずに今度は父親が事故で他界する事になったのだ。幸いにして保険金や賠償金で、直ぐに生活に困窮する事は無かったが、父親の存在によって辛うじて成立していた家族関係は急変した。