最終話 玉砕-2
日付が変わって七日の午前一時頃、杉野は一人、破壊された野砲に背をもたれさせて座り、無言で写真を見つめていた。写真の中には笑顔の自分、その隣に微笑む妻の智子。杉野は思いを巡らす。俺は智子を守れたのだろうか? 南の孤島で死ぬことで、この笑顔を守ることができるのだろうか? そんな考えを暗い顔をして自問を繰り返していた。
「伍長殿、最後の飯ですよ」
笹川一等兵と河田一等兵が揃って、乾パンの袋と鰯の缶詰、満タンに水の入った水筒を一本持ってきた。
「さぁ、どうぞ」
笹川が水筒の栓を開けて、差し出してきた。杉野は飯盒の蓋を取って、笹川に渡した。
「よし、次はお前だ」
笹川から水が並々に注がれた蓋を受け取ると、今度は笹川の飯盒の蓋に杉野が水を注いでやる。
「ありがとうございます」
笹川は笑顔で頭を下げた。
「ほら、河田」
「お願いします」
河田は負傷した右腕をかばいながら、器用に左手と脇を使って飯盒から蓋を取って杉野に渡した。
「それでは、最後の乾杯といこうか」
水を注いだ蓋を河田に返して、杉野は目の高さまで掲げた。
「乾杯!」
三人はそれぞれ蓋同士を打ち付けあってから、水に口を付けた。
「うまいなぁ」
「おいしい」
笹川と河田が同時に頬を緩めた。杉野もそれを見て微笑む。
「では、次は乾パンと缶詰といこうか」
背嚢からポケットナイフを杉野は取り出して、付属してある缶切りで缶詰を開けた。
パッカンと、音を立てて缶詰の上蓋を切り取って、鰯の煮付けを一切れ指でつまんで口に入れた。それから乾パンを一個、放り込む。鰯の塩味が乾パンと中和されて丁度よい味になる。
「これも食べましょうよ」
そう言った笹川は自分の背嚢から、米兵から奪ったKレーションの朝食パックと昼食パックをいっぺんに取り出して開けた。
「卵だぁ!」
朝食パックの缶詰を開けた笹川がパッと顔を輝かせた。死ぬ前に卵が食べられるとは思ってもみなかった。缶詰にはさらに嬉しいことに、当時の日本では高級品のハムが入っていた。
「こっちはチョコレート!」
河田は昼食パックに入っていた小包を開けて驚いた。中からチョコレートが茶色い顔をして出てきたからだ。
「甘いなぁ」
少しかじって河田は満面の笑みを浮かべた。久しぶりに甘い物を食べたのだから、自然に顔が緩むのも仕方がない。
「こいつはコーヒーじゃないのか?」
杉野は小袋を開いて、中に入っている粉末の匂いを嗅いで嬉しくなった。中身はコーヒーだった。
「よしよし、ローソクかなんか持ってないか?」
「二本だけなら、短いですが」
河田が背嚢から使いかけの短いローソクを取り出して杉野に渡した。
杉野は、散らばる石を適当にコの字に組んで小さなかまどを作ると、マッチを擦ってローソクに火を灯し、飯盒の蓋一杯分の水を飯盒本体に移して温めはじめた。
十分くらい待って、水が沸騰しはじめた。杉野は飯盒から蓋にお湯を移して粉末コーヒーを溶かし、一口飲んだ。代用コーヒーでは出せない独特の苦みが口に広がる。笹川と河田にも蓋を回して三人でコーヒーを味わう。
死出の旅に出る日の朝には十分な朝食だった。