第二十三話 崩壊-2
一、米鬼の侵攻はいぜん熾烈なるも、諸隊本日までの敢闘努力は、よく真面目を発揮せり。
二、サイパン守備隊は、先に訓示せる所に随い、明後七日、米鬼を索めて攻勢に前進し、一人よく一〇人を斃し、以って全員玉砕せんとす。
三、諸隊は明後七日三三〇以降随時当面の敵を索めて攻撃に当たり、チャランカノアに向かい進撃し、米鬼を粉砕すべし。又、諸隊は明六日夜以降随時、特に選抜せる挺進部隊を敵陣内深く潜入せしめ、敵の司令部・幕営地・火砲・戦車・飛行機等を索めて徹底的にこれを粉砕すべし。
四、予は切に諸隊の奮戦敢闘を期待し、聖寿の万歳と皇国の繁栄を祈念しつつ、諸士と共に玉砕す。
この命令書を読み終えて杉野は悟った、負けたのだと。溢れる涙をこらえて杉野は笹川らに向き直った。
「これより地獄谷へ向かい、最後の総攻撃を米軍にかける。三人とも、空襲が収まったら移動だ」
杉野は命令書を三戸部に返した。三戸部は敬礼すると、隣の砲撃痕に走っていき、同じように命令書を渡して報告し始めた。
やがて、陽が高く上った頃に空襲は収まり、杉野らは地獄谷に向けて最後の行軍を始めた。彼ら四人の周りには、同じように地獄谷へ向かう兵士が何十人も歩いている。中には民間人の姿さえ見えた。
「敵だぁ!」
後ろから絶叫が聞こえて、兵士たちは蜘蛛の子を散らすように散った。その場に留まって迎え撃とうなどとする者は一人もいない。もうそんなことをしても無駄だということを誰もが知っていたからだ。
「振り切ったか」
しばらく走り続けたあと、杉野は振り返って後ろを確認する。遠くに銃声は聞こえるものの、米兵の姿や発砲炎などは見えない。ついでに、部下たちの姿を確かめる。笹川、河田は問題なく付いてきている。横井は、と横井の姿を見たとき、彼の身体が前のめりに倒れた。
「横井!」
横井は手を先に地面に付くことなく、顔から地面に突っ伏した。笹川が慌てて横井を引き起こすが、彼の手にぬるっとした嫌な感触が走った。横井の腹部は赤黒く、銃弾が突き抜けた後がある。
抱き起された横井の両目から、ボロボロと涙が流れ出した。そして、微かな声を絞り出した。
「三年兵殿、身体中が痛いんです。自分は死にたくありません。痛い、痛い。」
「ああ、死にはせん。頑張れ、死ぬんじゃないぞ」
笹川が血で赤くなった手で横井の手を握り、杉野を見た。杉野は眼を伏せて頭を横に振った。
「目を閉じろ。寝れば痛みは忘れる」
杉野は横井の隣にしゃがみ込んで、横井の顔に手を当てて瞼を閉じさせる。
「伍長殿! 自分の絵を見に来てくださりますよね? それから、似顔絵も……ぐぇっ!」
言いかけて、横井は血を吐いた。胃液が混じっているのだろう、血の色は茶色になっている。
「ああ、ちゃんと行ってやる。お前の描いた絵も見る! 似顔絵もしっかりと書いてもらうからな!」
杉野は横井の瞼を左手で抑えながら、右手で腰から拳銃を抜きとり、口で咥えて抑えながら安全装置を片手で解除した。
拳銃の銃口を横井の眉間に触れるギリギリまで近づけて、杉野は引き金を引いた。
パン!
銃声が響いた。横井の身体から力が抜ける。目をはカッと開いて動かない。胸の鼓動はもうしていない。眉間には穴が開いていて、紅い血がそこからドクドクと流れ出れて地面に血の池を作る。
「すまん」
杉野は横井の開いた目をそっと閉じてやる。笹川はまだ手を握ってやっていた。河田も目を伏せて小さな嗚咽を繰り返している。
杉野は両目の涙を袖で拭って、笹川の握っている手を解いてやる。
遠くに聞こえていたはずの銃声が、気づけばかなり近くに迫っているのを杉野は感じた。
「さぁ、行くぞ」
杉野は一言だけ静かに言うと、立ち上がって歩き出した。