(その3)-2
「ほんとうにノリコさんなんですね…。
まさか、ここにきてくれるなんて…思ってもいませんでした」
私が病室でカオルくんに声をかけたとき、驚いたようにベッドでからだを起こしたカオルくん
は、視線の定まらない瞳を私の方に向けた。もっと近くに来てください、とカオルくんは何か
を求めるように私に言った。
「ずっと探していました。高校一年のとき、ぼくはいつも電車の駅であなたを見ていました。
声をかけたいといつも思っていたけどできなくて。そして突然ノリコさんは、あの街からいな
くなった。ノリコさんが東京にいることは知っていましたから、ぼくも高校を卒業すると東京
に来ました。きっとどこかで会えるとずっと信じていました…」そう言いながら、彼は私の顔
を手探りで確かめると、ゆっくりと頬に指を触れた。
頬をなぞられ、髪を優しげに撫でられたとき、ずっと私のなかに封じ込められていたものが、
ゆらゆらと揺らめき、どこか透明な蒼さを含みはじめる。
「好きでした…ずっと、ノリコさんのことが忘れられなかった」
彼の薄く開いたピンク色のきれいな唇のあいだに、真っ白な歯が初々しくのぞいている。彼は
私の顔にゆっくりと顔を近づける。彼の唇のあいだから漏れる吐息が、あの頃見ていた澄みき
った夏空から吹いてくる微風となって私の中を充たしてくる。
二十年近くも以前に会っただけのカオルくんなのに、なぜか私には、彼が遠い存在であるとは
思えなかった。彼は、手さぐりで私のからだを確かめるようにして抱き寄せ、ゆっくりと唇を
近づける。私は頬を微かに強ばらせながらも、自分でも信じられないくらい素直に自らの唇を
を彼にゆだねていった。
柔らかな唇だった…。
微熱を含んだ彼の甘い吐息が、私の鼻腔をゆるやかにくすぐっていく。私は彼と唇を重ねただ
けで、すでに自分のからだの奥に、これまで感じたことがなかったような懐かしい火照りを
感じた。重なり合ったふたりの唇のあいだで、何か切ないものが溶けていく。
彼が私の肩を強く抱きよせ、愛おしく唇を啄み、ゆるやかに舌先を差し入れていく。彼は私の
湿った唇の内側をなぞり、並んだ歯のすき間に舌をわずかに忍ばせる。ふたりの唇が戯れるよ
うに遠い時間を一気に駆け抜け、お互いの胸の鼓動が懐かしい光にまぶされるようだった。
私の唇が少しずつ開き、彼の舌先を受け入れると、私の口腔の中でふたりの舌が、互いを求め
合うように甘やかに絡まる。そして彼は私を強く抱きしめ、私の吐息と唾液を夢中で吸い上げ
たのだった…。
消灯の時間を告げるように部屋の灯りが消えると、ベッドの傍のスタンドライトの淡い灯りが
ふたりを慈しむように優しく包み込む。
ぼくのベッドに入ってくださいというカオルくんに誘われるまま、私はベッドの中に入ると
彼のからだにそっと寄り添う。わずかに乱れた病室着から覗いた彼の薄い胸肌に手をあてる。
あの街の懐かしい夕映えを帯びたような薔薇色の肌に、私の遠い記憶が微かに微睡む。
私は、カオルくんの病室着の胸元を開き、ゆっくりと鳩尾から下腹部のなめらかな線を描いた
肌を撫でる。彼のからだは瑞々しく引き締まり、息苦しくなるくらい精緻な肌が眩しく耀いて
いた。