鎖に繋いだ錠前、それを外す鍵 2.-9
だから陽太郎とは必要最低限のことしか話さない。友梨乃は、これでいい、と自分を納得させた。いくら陽太郎に好意を寄せられ、いくら自分がそれに応えられない資質を持っているとはいっても、彼のアルバイトを辞めさせることはできない。陽太郎が続けるというのであれば、受け入れるしかない。
閉店業務が終わると、陽太郎は店長や智恵、そして友梨乃を置いて、
「すんません、ちょっと用事あるんでお先に失礼します」
と、何かにかこつけて必ず先に帰ってしまった。友梨乃と二人で家路を歩きながら、
「……ヨーちゃんに距離置かれるとつまらんわぁ」
智恵が言った。
「私のせいだね」
「そやね……」智恵はバッグを肩に、腕を組んで歩きながら、「あれはまだ、ユリをふっ切ってないね。かわいそ」
友梨乃は何も言わなかった。どうしろというのだ。
することがなくなった。こんなことなら、昨日の帰りにDVDレンタルでもしたらよかったと思った。リビングで平日昼間のテレビを漫然と眺めていた。友梨乃にとってはどうでもいい情報ばかり提供してくる。何度か時計を見たが、驚くほど時間は過ぎていなかった。
陽太郎への指導はあと一回で終わる。指導期間が終われば、友梨乃と陽太郎のシフトは合わせられるわけではないから、会わない日も増えるだろう。友梨乃は部屋で一人物思いに耽った。今まで何度も断った男の申込の中でも、陽太郎が一番罪悪感に苛まれていた。友梨乃の都合でベッドに誘っておきながら、友梨乃の都合で途中でやめさせたこと。その事実に覆い隠されていたが、よく考えたら、陽太郎はそんな酷いことをされておきながら、友梨乃を恋人にしたいと言ってくれたのだった。好きな相手がいてもかまわないと思ってくれた。真剣さが伝わってきた。だからこそ、友梨乃はこれまで断る本当の理由を誰にも教えてこなかったのに、陽太郎にだけは教える気になったのかもしれない。そして他の誰よりも傷つけたに違いなかった。早く自分のことは忘れて欲しい。
ふと我に返って、一人で笑った。彼女がいると言っていた。その彼女と別れずに、そこへ戻ればいいだけだ。ホンモノの彼女に。
チャイムが鳴った。古いタイプのマンションだからエントランスにチャイムはなく、来訪者はドアの前まで来れてしまう。女二人暮らしだから、用心してよほどのことが無い限り出なかった。きっと何かの勧誘か宅配便だ。覚えがある荷物なら届く日は大体分かるが心当たりがない。いきなり何かが届くにしても、このまま居留守を使えば不在票を入れていくだろう。もう一度チャイムが鳴ったが無視した。
再びテレビの音しかしなくなった。ディズニーランドが何やら特別なイベントをしているらしく、その特集が流れている。
(ディズニーランド、行ったこと無いなぁ……)
学生の時は孤立していたからもちろんだが、智恵と暮らすようになっても、いつか行きたい、と言いながらも二人で一緒に休みを取ることはできないから行けずにいる。
またチャイムが鳴った。テレビの隅の時計は3分ほど過ぎていた。別の来訪者だろうか、と思うとすぐにもう一度鳴った。
気味が悪くなった。恐る恐る、足音を立てないようにドアに近づいていき覗き窓から外を見た。人影が見えたが肩までしか見えなかった。女のように見える。友梨乃はまた足音を忍ばせてリビングへ戻った。じっとドアの方を伺ったが、立ち去る足音は聞こえてこなかった。大きく深呼吸をして、インターホンの受話器を取った。古いタイプだからカメラはついていない。
「はい……」
一言だけ言った。
「……あ、俺、です。藤井です」
覗き穴から女のように見えたが陽太郎だった。細身だから女のように見えたのだろう。
「あ……、ど、どうしたの?」
「あの少し……、話が」
何だろう。友梨乃は智恵の言葉を思い出した。まだ諦めてくれていないのだろうか。自分の嗜好を知って、まだなお何を言ってくるつもりだろうか。
何度来られても、変わらない。
「また、……付き合いたいとかいう話?」
「……とにかく聞いてください」
「私には話なんかない」
「お願いします」電話口の向こうから真摯な声が聞こえる。「これで最後です」
友梨乃はしばらく考え、ふっと溜息をつくと、わかった、と言った。玄関へ向かいながら、何故また家に導き入れようとしているのだろう、と思った。だが理由は直ぐに思い当たった。陽太郎を本気にさせてしまった責任がある。
ドアロックを外し、ノブをひねって押す。鉄扉は重たげに開いていき、明るい廊下に陽太郎が立っていた。最初顔が見えた。思いつめた顔をしている。
「……え、何……」
友梨乃は目を見開いて両手で口を抑えた。最初神妙な顔をしていた陽太郎は、友梨乃が嫌悪にドアを閉める前に、自虐的な苦笑いを浮かべる。しばらく呆気に取られていた友梨乃は、苦笑を続ける陽太郎を見つめ続けるうち、やがて口を抑えた両手の中で笑い声を漏らした。