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鍵盤に乗せたラブレター
【同性愛♂ 官能小説】

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本心-7



 ――次の日

 その日、いつものように部活に出かけようと部屋のドアを開けた勇輔は、偶然隣の部屋から同じように出てきたうららとばったり会った。
「なんだ、おまえ早く着替えろよ。部活遅れちまうぞ」
 うららは気乗りのしない顔で兄を見上げた。「あたし、今日部活休む」
 勇輔はエナメルバッグを肩から下ろして、うららに身体を向けた。
「まだ落ち込んでんのか?」
 うつむいて、うららは口の中で呟いた。「ちょっとね……」そしてうららはすぐに顔を上げた。「でも、今日休むのは、違う理由」
「違う理由?」
「うん。部活休むほど落ち込んでるわけじゃないから」
「……嘘つけ」勇輔は懐疑的な目を妹に向けた。

「兄貴さ、一度冬樹のピアノ弾いてるとこ、見てみなよ」
 勇輔は少し動揺したように目をしばたたかせた。「え? あ、あいつのピアノを?」
「そう。あたしの言ったことがわかると思うよ」
「どういうこった?」
「彼、兄貴が思ってるほどなよなよした男子じゃないから。少なくともピアノ弾いてる時はね」
「ふうん……」
「たぶん今日も音楽室で弾いてるはずだよ」
 勇輔はエナメルバックをしばらくじっと見つめた後、それを肩に担ぎ直して言った。「じゃ、俺、行ってくっから」
「行ってらっしゃい」



「今日も練習? 冬樹君熱心ね」
「すみません。ご迷惑かけて」

 昼過ぎ、冬樹は学校の音楽室を訪ねた。

「全然かまわないわよ。私、あなたのピアノの弾き方、好きよ。私の若い頃にちょっと似てるかも」
「そ、そうですか?」
「感情があふれ出す感じ」彩友美は冬樹に一歩近づき、腕をこまぬいて少し首をかしげた。「同じ曲でも日が違うと全然違う曲に聞こえる。コンクール向きじゃないわね」
「え? ど、どうしてですか?」
「だって、気持ちが沈んでる時に、明るい曲なんか弾けないじゃない」
「そ、そうですね……」
「今のあなたの音楽、ちょっと切なげに聞こえるわよ。明るい長調の曲でも」
「そうですか……」

「あのね、気分が沈んでる時には敢えて暗い曲を弾くの。無理して違う雰囲気の曲を弾いても、気持ちと音楽がちぐはぐになって、聴いている人は苦しいだけ」
 冬樹はうつむいて聞いていた。
「音楽ってね、演奏する人の気持ちが知らないうちに乗っかってるものよ。だから、聞いてる人にはそれが伝わるの。気になっている人が弾くピアノならなおさら」
 冬樹は顔を上げて、不思議そうな目でその若い音楽教師を見た。彼女は意味ありげな笑みを浮かべていた。
「ごめんね、偉そうなこと言っちゃって」
「い、いえ、そんなこと……」

 彩友美が音楽準備室に消えた後、冬樹はピアノの蓋をゆっくりと開け、静かに鍵盤に指を落とした。

 彩友美は、教室から聞こえるその調べに耳を傾けた
「『ショパンの前奏曲第4番ホ短調作品28-4』。……なんか、切ない……」
 彩友美は冬樹の弾くその胸をえぐられるような調べに、しばらく息をするのさえ忘れていた。

 途中で曲が途切れた。そして新しい音楽が奏でられ始めた。それは同じショパンの『ワルツ16番ホ短調遺作』。
 軽やかだが、道化師の持つ哀愁のようなものを色濃く感じる切ない曲。中間部の長調部分でさえ、笑顔の中に涙を浮かべているような感じだと彩友美は思った。しかし、その中に隠しきれない激情を秘めていることも感じ取っていた。

 部活に行くために芸術棟の前を自転車で通りかかった勇輔は、音楽室の方からピアノの音が聞こえてくるのに気づき、その入り口で自転車を止めた。
 「また冬樹が弾いてんのか?」
 勇輔は、冬樹がどうやってピアノを弾いているのか見てみたくなった。彼は芸術棟のエントランスから靴を脱いで廊下に足を上げ、階段を上ってこっそり音楽室の方に向かって歩いた。そして気づかれないように少しだけドアを開け、中を覗いた。

 冬樹は、濃い緑色のハンドタオルで首筋を拭っていた。そして、それをズボンのポケットに押し込むと、おもむろに鍵盤に指を乗せ、なめらかな動きで音楽を奏で始めた。

 勇輔は息をのんだ。
 ピアノに向かっている冬樹の姿は、初めて校庭で会った時や、シンチョコ前で見たうららとのデートの時とは別人のようだった。

 光る額の汗。窓から吹き込む風に揺れる前髪。胸のボタンをひとつ外した白いシャツから覗く、汗ばんだ白い首筋と胸元。激しく動く白くしなやかな腕。きゅっと結んだピンク色の唇……
 冬樹の弾く調べは、まるで別世界に吸い込まれていきそうな深い芸術性を湛えていた。

 勇輔は我を忘れてその姿をじっと見つめていた。そして前にうららが言った言葉を思い出した。
 『冬樹には色気があるんだよ』
 一心不乱に鍵盤に向かうその切なげな表情に、勇輔の胸に熱いものがこみ上げてきた。そしてそのまま彼のピアノを聞き続けるのが苦しくなり、勇輔は胸を押さえて、そっとドアを閉めた。


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