第三章-1
大見世の久喜万字屋でも格の高い遊女である昼三は五人ほどしかいない。その一人である月汐は部屋を三つ持っていた。登楼した客をもてなす部屋、三つ布団を畳んである夜伽の部屋、そして居間として使っている座敷である。
「こう、はなみや、下へ行って新しい剃刀を借りといで」
座敷の真ん中で前をはだけた襦袢ひとつ、畳に裸の尻を付け、大股開きで下の毛の処理をしていた月汐は、子飼いの禿に言いつけた。
「ついでに毛切り石も借りてくるんだよ」
「あいいいーーー」
はなみは間延びした返事を引きずりながら廊下に出ていった。入れ替わりに朋輩の昼三である翡翠が顔を出した。
「ちょいとごめんなんし。今日は甘いもの、何かあるかえ?」
月汐の剃った毛が舞い飛ばぬよう裾捌きに気を付けながら近くに座ると翡翠はニッと笑いかけた。商売で見せる艶冶な微笑ではなく、お歯黒剥き出しの天真爛漫な笑みである。
「しょっちゅう菓子をこしらえてるわけでもなし、おあいにくさまだね」
「なんだ、ないのかえ。巻煎餅作りに端を発し、菓子作りが道楽となってしまった月汐花魁といえば、ここいらで知らぬ者はなし。この前頂いた鯨餅、あれは美味かったねえ。氷砂糖を奢っているから甘くってねえ。……ちょいと月汐さん、あんた剃りすぎだよ。それじゃあ遠目だと土器(かわらけ)に見える」
「いいんだよ。わっちはここの毛、申し訳程度にあるのが好きなのさ。いっそもう根こそぎ抜いてしまいたいくらいだよ」
「やっぱりあんたは変わり者だ……。おや、そこにあるのは餡じゃないかえ」
「ああ、あれはおとつい作った饅頭に入り損ねた溢(あぶれ)だよ。あんなの舐めちゃあ今夜はお茶挽きだよ」
「ふ……、溢を食ってあぶれ女郎になるって言いたいのかえ。それでもいいからその餡ちょいとおくれよ」
「まったく卑しいねえ。あんた万字屋で、いっち品をする(上品に構える)傾城だろうに、干からびた餡なんか……、ああ、そんな大口あけて……。さっき蠅が集(たか)っていたかもしれないのに」
「わっちゃあ宿(品川宿)から吉原(なか)へ鞍替えした女郎(おんな)だ。蠅だろうが護摩の灰だろうが気にしないよ」
「ほんに、呆れけえるよ」
昼三たちが下卑た笑いを上げていると、はなみが新しい剃刀と毛切り石を二個借りてきた。
「そんな石、男湯にしかないものを月汐さん何にお使いだえ?」
翡翠が口の端に餡をくっつけながら言う。
「この石は、これこうやって」
両手に持った毛切り石で陰毛の先を挟む。
「こうして毛先を潰すのよ。するてえとチクチクしねえって客が皆おっせえすのさ」
「ああ……、それなら、わっちぁ線香の火ぃ使ってる。そうする女郎(こ)のほうが多いと思うがねえ」
「面倒だから下の毛はやっぱり全部無くしてしまいたいけど、そうすると遣手のお滝が怒るからね」
「あの婆の前では、さすがの月汐花魁も大人しくなるからねえ……。それ、その剃刀」
「剃刀がどうかしたかえ?」
「いつぞや、てめえ、剃刀三昧で騒ぎを起こしただろうが」
「ああ、あの自害のことかえ」
「そうだよ。あんたの在所の二親が山津波で亡くなったと報せがあった時のことだ。おめえ、気がふれたみてえに泣き喚き、終いには剃刀で手首を切ろうとしやがったじゃねえか」
「そんなこともあったっけねえ」
「今はのんびりそう言ってるが、あの時、お滝がてめえにむしゃぶりついて剃刀を取り上げなけりゃ大変なことになってたんだよ。だいたい、あんたってやつぁ、すぐ頭に血がのぼるんだから」
「だって急に二親が消えちまって正気を失ってたから……。おっかあが死んだ悲しさ、おっとうがくたばった腹立たしさ」
「腹立たしさ……」
「わっちを吉原に売り捌いたおっとうだけがあっさり消えちまって、借金だけがしぶとく残りやがったからさ」
「へん、そんなことで気を揉むのはてめえだけだと思ったら大間違いさ。ここの女郎のほとんどが借金のかたとして連れ込まれているよ」
「……分かっているけどね」
「しかし、あの時のお滝は凄かったねえ。おめえから剃刀を奪ったと思いきや、返す刀で、いや、掌で、思い切りてめえの面を張ったからねえ」
「……今でも片頬が疼くわえ」
「でも、お滝のおかげで、てめえの手首はきれいなままだ。あれ以来、月汐さんはお滝の前では大人しい」
翡翠が笑いながら月汐を覗き込む。
「ほらほら、あんまり近づくとお前さんの眉を剃り落とすよ」
真新しい剃刀を取り上げて脅すと、
「あれさ、刃傷沙汰ざんす。恐い恐い」
翡翠は障子を開け、わざとらしい悲鳴を上げて逃げ去った。その手には餡のかたまりが、しっかりと握られていた。