第二章-4
「ごもっともでございます。旅の垢を落として間もないとは申せ、何を置いても商いの品の出来不出来を確かめるのが主の務めでございました」
殊勝な態度は微塵も崩れなかった。そこでようやく月汐の眉が僅かに開かれると、
「しかし何でございますな」
清右衛門は月汐手製の巻煎餅をつまみあげた。「花魁の菓子は、男にはいささか甘すぎるように思われますが」
「たしかに、この店の巻煎餅よりは甘さを濃くしいした」
月汐の目にいたずらっぽい光が宿っていた。
「これより少うし甘くないのが本来の竹村伊勢の巻煎餅でありいす。それに気づいて、味を元に戻してくれなんしたら、わっちはもう何も言うことはござりいせん」
軽く頭を下げ、立ち上がろうとする花魁に清右衛門は笑顔とともに声をかけた。
「お待ちくださりませ。手前どもの不調法な煎餅の口直しに、よろしければ上方より持参した土産の菓子をば差し上げたいと存じますが」
上方の菓子と聞いて月汐は座り直し、九重も密かに唾を呑みこんだ。
小僧が来て茶が換えられると、主は肥えた身体を窮屈そうに屈め、菓子皿を月汐らの前に押し出した。
「これは利休餅というものでございます。御賞味くださいまし」
細長い餅の上に赤い羊羹がかかった綺麗な菓子である。食べてみると中にはつぶし餡が入っており、表面の薄い羊羹との風味の差が面白かった。
珍しい菓子を口にした月汐らの満足そうな顔を眺めながら清右衛門は嘆息した。
「やはり、下りものは違いますな。味に工夫が見られます。手前どもも精進をしなければなりませぬなあ」
「下りものと言えば、遊び女(め)も京が本場。島原の傾城はどうでありいした?」
月汐が意味ありげに訊くと、清右衛門は赤ら顔にひと掃きほど朱を加えた。
「いや、先だっての手前の旅は、あくまでも菓子を……」
「筆下ろしの済まぬ小僧っこでもあるまいし、せっかく京へ上りなんしたからには、名にし負う島原の遊女に埒をあけてもらわぬはずはありいせん」
月汐と九重が顔を見合わせてうなずくと、清右衛門は首を軽く叩いて、
「島原の廓でございますか。たしかにあそこは吉原の手本となった悪所と聞きますが、今は他の隠れた遊里のほうが評判がよろしいようで……」
「おや、京の都も岡場が幅をきかせているとおっせえすか」
「江戸に於いては深川や品川、京に於いては祇園や二条。何かと金のかかる官許の遊里より、手軽に遊べる岡場所のほうに男どもが靡くのは仕方のないことでございましょう」
「とはいえ、清右衛門どのは島原にて良い傾城と昵懇になられた御様子」
笑みを含んだ月汐の眼差しに菓子司の主は苦笑で答えた。
「花魁には敵いませんな。たしかに一人いいのがおりました。色身たっぷりで風格のある遊女が。あのような者は、やはりそれなりの妓楼にしかいないものでございます。岡場所は安く遊ぶところ、本式に楽しむには多少高くても島原が上々。江戸では無論、ここ吉原に優れるところはございません」
如才のない清右衛門の言葉に九重は笑顔で応えながら二つ目の利休餅を素早くつかんだ。月汐も餅に手を伸ばしながら、
「ところが、昨今は吉原も入りが悪いようでありいす」
麗しい眉を顰めた。
「清右衛門どのの申されるとおり岡場のせいで吉原(なか)の賑わいは下火でござりいす。深川七場所、品川を初めとする四宿、場末では谷中、音羽、根津などに客を奪われておりいすもので……」
「かつての白河楽翁(松平定信)のように御公儀の威光でもって岡場所を取り締まってもらうしか手だてはございませんな」
「取り締まりも良うござりいすが、その挙げ句、隠売女が仰山この里に連れ込まれ働かされるはめにでもなりいしたら、ここの気風が乱れ、岡場みたようになるでありいす」
「そうなっては事でございますな。遊廓も菓子も本式が肝要。手抜き、誤魔化しは、ほんに困りもの」
清右衛門は月汐の巻煎餅をあらためて取り上げた。
「花魁のこしらえなすったこの菓子のおかげで、手前どもの煎餅が本道からそれたことに気づいたわけでございますが、この一件がなければ自ずと客足が遠のき、竹村伊勢の名が地に落ち、果ては身代を畳むところでございました」
「そんな大袈裟な」
「大袈裟ではございません。一文吝(おし)みの百知らず、と申すではありませんか。この店の顔でもある巻煎餅の砂糖を減らすとは何たること。当面の僅かな金を惜しみ、後で大損を招くことに思い当たらぬとは……。後で番頭の金造によく言い聞かせておきます」
清右衛門は月汐たちに深々と頭を下げ、菓子皿に残った利休餅を土産に持たせてよこした。