僕をソノ気にさせる-5
夫は他界してしまったが、その死の前に北海道に嫁いだ姉から三人、近くに所帯を持った兄から二人の孫を授かっていた。孫を持つ喜びは人生で存分に与えられたと自分に言い聞かせ、祖母は次男の筋から子孫が拡がることは半ば諦めていた。
だが或る日突然、優也の父親は家に一人の女性を連れてきた。身ごもってしまったので結婚するという。その相手を見て祖母は手放しには喜べなかった。行きつけの店のホステスで、二十歳のカンボジア人。挨拶に来たはいいが日本語を十分に話せない。夜の店で接客するならばその程度の会話力でも充分なのかもしれないが、子育てとなると別だ。祖母は反対したが、次男の結婚の意志は固かった。
「じゃ、結婚せずに堕ろせってのか? おふくろはいつも孫は宝だって言ってるじゃないかよ」
そう言われると、祖母は二人の結婚を認めるしかなかった。やがて早や産で優也が生まれる。父母の結婚は反対していても、新しい命がもたらされる喜びはやはり格別だ。しかも暫く保育器に入っての経過観察を余儀なくされて気を揉まされた分、退院して家に帰ってくると祖母は毎日のように次男のアパートを訪れた。母親が結婚し子を授かってもなお夜の店で働きたいと言い出すと、その発想を蔑んだが、「国にいる母と兄弟に仕送りをする必要があるのです」と言われると強い反対もできず、むしろ優也の世話を任せてもらえる魅力に負けて承諾してしまった。
なので優也が幼稚園に上がる前に、この母親が支給されたばかりのボーナスを持って突然失踪した時、こんなことになるんじゃないかという茫漠とした予感があったから、大して驚きはしなかった。この時には真の母親は自分であるとまで思っていて、優也を立派に育てていく決意を強くしただけだった。
優也の父親は結婚後も夜の店に入り浸って別のホステスを口説いていたし、どうも社内ではそのような目に遇う者は一人ではないらしく、女房が逃げたショックは引きずらなかった。
だが父親は時を経ず海外の金融不安から波及した建設不況で、いともあっさりと勤め先が倒産したことにはショックを受けた。世界経済などには縁がない父親は、なぜ外国のゴタゴタから自分の会社が潰れるに至ったのかを理解することができなかった。
手に職があるから再就職も容易いと思っていた。だが技能を武器にして就職活動を行っても、日本の建設業界自体が冷え込んでおり、四十を疾に過ぎていては新たな勤め先はなかなか見つからなかった。
「いわきに行こうと思ってんだ。その……」
復興支援金が投入されおり、多重請負末端の零細が多かったが、そこでは土木・建設技術者は引く手あまただった。
「優也は置いていくんだろ? 連れて行くって言ったって許しはしないよ」
「……すまん、おふくろ。ちゃんと仕送りするから」
「お金のことは気にせず、やってらっしゃい。たまには帰ってきてやるんだよ。あんたはこの子の父親なんだから」
姉、兄に比べれば頼りないが息子は息子だ。真っ当に仕事をすると言っているのを止めることはできない。高校で校長まで務めた夫の遺産と保険金は優也一人育て上げるのに充分にある。
「これからウチのお金は全て優也に使います。私が死んでも相続は無いと思いなさい」
姉と兄は母親の宣言を聞き、弟のダメさ加減も、母親の優也への溺愛ぶりも知っていたし、産み親の失踪と父の不在で独りになる幼い血縁を不憫に思っていたから、特に文句を言わなかった。
七十歳を過ぎても祖母は体がしっかりしていたから、幼稚園の送り迎えも毎日こなした。むしろ夫との死別後は独り暮らしで家に居がちだったのが、優也を一人前にするまでは絶対に死なない、とこの歳になってもう一度子育てをする刺激によって活力を蘇えらせていた。
祖母との二人暮らしは概ね順調だった。だが、小学校に入って中学年あたりになってくると優也の様子に変化が現れてきた。小学校に入ったばかりの頃は、他の子と同じように無邪気に走り回っていたのに、だんだんと物静かであまり話さない子供になっていった。
「友達とうまく付き合えてないようですね」
面談で担任教師から言われて心配になり、友達と遊べるように携帯ゲーム機を買い与えたが、優也はそれを使って遊ばず、家でテレビを見たりマンガを読んだりするばかりだった。「ゲームはしないのかい?」と、居間のテーブルに放り置かれていたゲーム機を拾い上げても、
「いい。一人でやっても先に進まないもん」
とテレビから目を放さず、小さな声で答えた。祖母は子どもたちの間で流行るゲームが、仲間同士でアイテムを交換したり敵を倒したりしなければストーリーは進まず、面白味も半減してしまうことを知らなかった。