僕をソノ気にさせる-13
「どっちにしても出し過ぎだ、脚。それにピアスもブレスレットもしてるし。婆ちゃんが苦手な、チャラチャラした女子大生まんまじゃねぇか」
「じゃあ、最初に駅で会った時に言ってくださいよー」
「ヤバい、って思ったんだけどな。着替えるわけにもいかねぇだろ?」
「なら、事前に言っておくとかしましょうよ」
杏奈は口を尖らせたあと、「……でもまぁ、最初は確かに、ちょっとコワかったです……、お婆ちゃん。オーラすごくて」
「そりゃ、焼け野原で子供時代過ごして、貧乏しながら学校行って、結婚して旦那を高校の校長にするまで支えた、ってんだから肝は座ってるだろ。なぁ、あれってどこまで計算なの?」
「何がですか?」
「優也があんだけ喋ったの久しぶりに見たよ。お前、完全に友達モードになってたぜ?」
「あー。っていうか」
歩きながら腕組みをする。「私、そっちの『計算』はあまりできないです」
「じゃ、地なんだ。優也と同レベルか」
「……天真爛漫……。お婆ちゃん、嫌味だったのかなぁ……」
「そんなことねえよ。嫌味言う相手に家庭教師お願いしますなんて、婆ちゃんは絶対言わねえ」
智樹が唐突に立ち止まった。「なぁ」
「はい?」
「俺からも、その……、頼むよ。婆ちゃんほどじゃないけど、俺も優は可愛いんだ。唯一、年下の親戚だからな。……優は可哀想なヤツなんだ。その優があんだけ笑ったの、やっぱ須藤のお陰だよ」
そう言って、道の真ん中にも関わらず智樹も祖母と同じように深々と頭を下げた。
「え、やだなぁ、もう。照れますよ。大丈夫です。しっかりやりますから」
「ありがとう……、って先にこう言ったら、お礼っぽくなっちゃうんだけど」
智樹は顔を上げて、「今から飲みに行くか?」
「オゴリですか?」
「ああ、いいぜ」
「やったっ」
手を叩いて歩き始めた杏奈は笑いながら、「どんな店に連れてってくれるんですか?」
「俺の部屋」
無邪気に喜んでいた杏奈の表情が真顔になって、
「……告りました? 今」
と智樹の方を見れずに問うた。
「まあ、そういうことだ。俺のこと、悪く思ってないんだろ?」
「ええ……、でも卒業前は私がスキスキ光線出しても無視だったじゃないですか」
「そうだけどさ。今日、お前が優に教えてるとこ見て好きになった」
好き、という言葉を言われて杏奈の胸が潤む。
「それは……、良かったです」
「俺の気を引くために優の家庭教師OKしたんじゃなかったのか?」
「……そこだけは『計算』してたかも……」
「してんじゃねぇか」
笑いながら智樹が杏奈の手を握る。大きな手に握られた甲へもう一方の手も添えて、杏奈は口元から音符が出そうな気分で智樹に寄り添って歩いた。
「でも、動機はちょっと不純だったかもしれないけど、家庭教師はちゃんと真面目にやるつもりです」
杏奈は二年越しの思いを遂げた彼氏へ言った。「私も先輩のおかげで、優也くんのこと、大事に思う立場になりましたし」
4
杏奈は他の教科はおいて、まずは数学の克服から取り組み始めた。分数の割り算を教えた時に筋は悪くないと思っていたから、小学校4年生あたりまで戻り、復習がてら一つ一つを再確認していった。一見迂遠な方法だったが、前提が呑み込めていくにつれ優也の吸収は加速度的に上がっていく。
優也は初対面で杏奈の人柄に惹かれてはいたが、いざ家庭教師が始まって改めて会うようになると、最初はやはり緊張と思春期らしい畏まりを見せて、基本的には受け身で杏奈の言う通りにこなして行く感じだった。だが、偽装ではない地の性格そのままに、久しぶりに見た分度器やコンパスを懐かしんだりして自身も楽しみながら課程を進めていく杏奈に触れていくうち、
(何か、大人なのに、子供みたいだ)
と今まで接してきた大人にいなかったタイプの杏奈に興味を持ち始めていた。だが、怠けようとする、大事な時に集中力を欠く、といった態度をみせると、杏奈の大きな瞳が迫力に染まって叱られた。怒られれば優也も萎縮するし、悲しくなる。怒ったと思えばすぐに微笑んだり、冗談を言ってくる杏奈だったが、或る日、合同と相似のあまりの難しさに宿題を拒否すると、これまでで一番ひどく叱られた。優也にしてみれば、友達のような同目線で接してくる杏奈に、ちょっと頼めば「仕方ないなぁ」と宿題を軽減してくれるものと思って言ったのだった。いつもは機嫌よく帰っていく杏奈が、その日は叱った後に「もういい」とだけ言って、そのまま帰ってしまった。
残された優也は胸が絞めつけられるほどの悲しさを抱えたまま眠ることになった。目を閉じても、今日の杏奈との勉強の場面ばかりが思い出されてくる。