誘惑者は内側に2-2
特に話すこともなくなった二人はそれぞれに本を読み始めた。本棚のポーランド語やエスペラントの本が珍しくて緑川は飽きなかった。ズザンナは推理小説らしい子供の本をベッドに寝転がって読んでいたが、次に緑川が見たときには寝息を立てていた。寝不足の子を起こすわけにもいかない。この章を読んだら帰ろうと緑川は決めた。
立ち上がるとき、下腹部の痛みを緑川は強く感じた。まだ例の少女の下着を穿いたままだったのである。これを思い出すと同時に、ある不安が緑川の胸によぎった。鍵のかかっていないアパートに、眠った子供を一人残していいのだろうか。ドアに手をかけたところで、それが論理的な説得力を伴って緑川に確かなものとなった。緑川は、あまり満足でない感覚を抱きつつも、ズザンナの部屋へ戻った。そして緑川は息を飲んだ。
何度か寝返りを打ったズザンナの長いスカートが腰の上までまくれていた。ズザンナは快活な少女なのに違いない。緑川に背を向け、右腕は頭の方に伸ばしていた。両脚は折り曲げていた。
緑川は近寄ってみた。そして、ズザンナの白いはずの下着に、ちょうどそのシャツの色よりは暗いいびつな黄色を見つけた。きのうから服を替えていないのだと緑川は思った。いまの緑川にとって、目の前にあるのはただの綺麗な少女の体だった。緑川はその黄色に発作的に鼻を当てて深く息を吸い込んだ。かき分けるように鼻を沈めた。まだ小さな女の形が口元に細かく辿られた。鼻を後ろにゆっくり動かしていくとにおいも変わっていった。
膝で立っている緑川は、顔を離してズザンナの体を上から眺めた。頭に伸ばした腕の付け根に、半袖のシャツから金色っぽい毛が見えた。そこにも緑川は鼻を付けた。あの少女と同じきついにおいが緑川の脳天を突いた。くすぐったかったのか、ズザンナは緑川の頭を両腕で抱きしめ、体を上に向けた。その腕をやわらかくほどくとき、緑川はズザンナの幼い胸に頬で甘えてみた。
本当に尊敬している人間に、動物的な性質を、もっと言うなら糞尿などを重ねて見たくはないものだ。子供が女親の股から生まれてくるなどということも、母のイメージにおよそそぐわぬ嫌なものだ。緑川はもう一度ズザンナの同じところを初めから嗅いでみた。そして、思い出のようになっているその高貴さと尊敬の念とがそれに全く影響を受けないことに喜びを覚えた。改めて緑川はズザンナの存在を見上げた。今なら手が届くそこへの思いを積極的に諦めて、緑川はスカートを戻してやり、わざと大きなくしゃみを自分でした。
ズザンナは飛び起きた。緑川の顔を見て、ごめんなさい、寝ちゃったと言った。
昼、二人はスパゲティーを作って食べた。料理はあまりしたことがないとズザンナは言った。ソースはインスタントだった。そのあと緑川は朝しようと思っていた散歩をするためズザンナのもとを出ていった。
この晩、緑川は酒を飲まず、床に入るとズザンナにあたたかく抱かれた気分でよく眠った。