馴致-1
“最低だ…”
恵は巨大な自責の念に苛まれていた。
部屋には恵しか居ない。
男は、恵とのセックスが終わった後、様々な体液でドロドロになった恵の身体を丁寧に拭いた。次に、半覚醒で朦朧とする恵を抱えて床に下ろし、びしょ濡れになったシーツの交換をして、恵を再び抱きかかえベッドに寝かすと、そっと毛布を掛けて、食事の用意をして去っていった。
恵は視線を壁に向けた。
そこには16枚の写真が貼られている。
手に手錠はなく、床には5つの皿が置かれていた。
あの後、恵は更に数時間にわたり男に抱かれ続けた。
その間、男は恵の中から一度たりとも陰茎を抜かず、陰茎が力を取り戻す度に、長時間かけてじっくり恵を抱き、その都度腟内に射精した。
最終的に男が射精した回数は6回。口内で1回、腟内で5回だ。
それは恵が経験した事のない密度のセックス。正直、男性がそんなにできるものだとは知りもしなかった。
恵はそっと己の陰部に手を当てた。
綺麗に拭かれたそこは、指で触るとほんの少しだけピリッとする。
学生時代、暇と好奇心に任せて一日に3回セックスした事が一度だけ有る。その時は、陰部が腫れてその後何日かは辛かった。
しかしその時に比べ、回数にして倍、時間にして4分の1、密度は8倍のセックスをしたにも関わらず、恵の陰部に炎症はほとんど見られない。
男が中に出した精液と途中から使い出したローションの効果だろうが、それと同時に、恵が出した愛液の量が多かった為だろう。
「んっ…」
恵は腟口から液体が零れる感触に身を震わせた。
指先でそっと拭い、目の前に持ってくる。
独特の臭いがするそれは、男の精液と恵の愛液が混じったものだった。
自然と男との情事が頭に浮かぶ。
そう、それは男女の情事であって、レイプなどではなかった。
クリトリスで1回。Gスポットで1回。その後のセックスでは数え切れないほど恵はイッた。セックスでイクなんて、最近は滅多にない。
夫はセックスの度に愛撫と抽挿で2回は恵をイかせていると信じているだろうが、そのほとんどは演技によるものだ。
本当は「こうして欲しい」、「もっとそこを触って欲しい」と言いたかった。そして、嘘ではなく本当に気持ちいいセックス…イけるセックスをしたかった。しかし、恵の自尊心と羞恥心、そして夫の疲れを労る優しさが、そうする事を許さなかった。
結果、12年の夫婦生活で、恵のセックスに対する認識は「それなりに気持ちはいいけど、別にしなくても困らないもの」程度に落ち着いていた。
だが、男とのセックスはその認識を粉々に打ち砕いた。
“ありえない程、気持ち良かった…”
男とのセックスは恵が知るものとは根本的に違っていた。
テンポや強弱、構成、フレーズ、時間、主題まで過去のセックスとはまるで別物だ。男とのセックスが重厚な音色を持つクラシックだとしたら、夫や恋人とのそれは稚拙な童謡でしかない。
“でも…例えそうだとしても…”
夫や恋人との間には愛があった。
それがどんなに拙い曲であろうとも、それさえあれば恵にとって夫とのセックスは最上の音楽と成り得たのだ。
だが、12年の時を経て、愛は摩耗し変化していた。
人は『当たり前』を意識できない。
夫が居る生活は当然の日常であり、夫への愛も、夫からの愛も普段の生活で意識する事はほとんど無くなっている。
たまのセックスも愛情の確認や発露と言うよりは、夫の性欲を満たす為、いや、処理する為に、半分以上義務感で行っているようなものだ。
数年前に予定外妊娠と流産を経験し、夫とのセックスに不安と躊躇いを感じるようになってからは、特にその傾向が強まっていった。
そう、恵と夫とのセックスからは、それを至上のものとしていた最大の要素がいつの間にか抜け落ちていたのだった。
その結果、恵の中で夫とのセックスの価値は非常に低いものになっていた。
しかしそれでもなお、恵は浮気しようなどとは思った事など無く、頑なに貞操を守り続けていた。それは恵の倫理観に因るものであったが、もう一つの要因としては比較の対象がなかったからだった。
夫と過去の恋人。その二人としかセックスの経験がない恵は、セックス自体がこれほど気持ちいいものだとは知らなかったし、思いもしなかった。だからこそ夫とのセックスで満足できたし、それ以上を望みもしなかった。
しかし今、恵は知ってしまった。
性の喜びを。
男とのセックスは圧倒的な快感をもたらし、恵は喜悦の声を上げ、絶頂の宣言までした。男が去ってから随分時間が経った今も、思い出すと身体が熱くなる…。こんな事は未だかつて経験した事がなかった。
「最低…」
男とのセックスが気持ちいいと感じた自分。
それに反応しよがり狂った自分。
そして夫とのセックスに愛を感じていなかった自分。
その全てが最低だった。
そう、恵の貞操は完全に失われていた。その事にもはや一言の言い訳もできない。
未だ残る性臭の中、恵はただひたすら己を責め続けていた。