熱砂の凶王と眠りたくない王妃さま-8
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「も、申し訳、ございません!」
「いいから、気にするな」
裸身をシーツで隠しながら青ざめるナリーファを、シャラフは笑ってなだめた。
彼女がまだ眠っている間に、入浴を済ませて身支度を整えたが、右目の周りには、しっかりと青痣が残っている。
「たいした腕前だった。これならお前が寝ている間、誰かに襲われる心配もないな」
「で、ですが……」
あわわと唇をわななかせる可愛らしい王妃を抱き寄せ、その頬に口付けをする。
「それにな……覚えていないのか? 隣にいるのは俺だと言ったら、眠っているお前は、すぐに大人しくなったぞ」
「……え?」
驚愕の表情を浮かべているナリーファを前に、やはり覚えていないのかと、少しだけシャラフはがっかりする。
本人が言ったとおり、眠り込んだナリーファの動きは、凄まじいものだった。
シャラフも幼い頃から常に命を狙われている身であり、眠りは浅く殺気にも敏感だ。剣術ならず、格闘技にも自信はあった。
それでも猛烈な速度で放たれた踵落しを、見事に顔面へ食らってしまったのだ。
しかし、ふと思いついて『ナリーファ、俺だ』と声をかけると、全力でシャラフを寝台から排除しようとしていた彼女が、ピタリと大人しくなった。
それどころか、眠ったまま幸せそうに口元を緩めてシャラフの名を呟き、甘えるように擦り寄ってくる。
起きている時の、おどおどした様子は微塵もなく……これも非常に可愛くて、つまりシャラフとしては二倍得した気分だった。
眠りながら甘えてくる彼女を存分に楽しみながら、ひょっとしたらナリーファのこれは、普段は大人しすぎる彼女の、押し込まれた鬱屈の反動なのではないかと思った。
「……とにかく、もう俺は大丈夫だ。これからも遠慮なく抱くぞ」
しかし、全部教えてしまうのは惜しい気がして、曖昧に言葉を濁して、安心だけさせた。
「は、はい……」
赤面しておずおずと頷くナリーファの頬に、もう一度口付けをして告げる。
「それから、寝物語もまた聞かせてくれ。俺はお前のファンだ」
名残惜しいが、呆然としている彼女の髪を一撫でしてから立ちあがった。
政務に向かうために扉を開けると、背後から嬉しそうな声が聞こえた。
「は、はい!」
肩越しに振り向くと、頬を真っ赤に染めて満面の笑みを浮かべたナリーファが見えた。初めて見るその表情に、ニヤけてしまいそうになる。
まぁ、傍にいる側近には、この千日間にシャラフが募らせ続けていた恋心など、とっくに知られているのだから構わない。
シャラフは、上機嫌で静かな静かな後宮の広い廊下を歩く。
部屋の外へ滅多にでないナリーファは、きっと知らないのだろう。自分が来て数日後には、寵姫たちは全て他へ降嫁に出され、後宮に住むのが一人だけになっていたのを。
重度の不眠症で荒みきっていたシャラフは、もともと気が進まずに押し付けられていた寵姫たちを疎ましく思いつつ、政務をこなすのに精一杯だった。
ナリーファが贈られてきたときも、また余計な女が来たと、苛立ったくらいだ。
無闇に傷つける気はなかったが、優しく扱う気にもなれず、適当に抱いて放っておこうと思っていた。
今、あの時の自分が、目の前にいたら、それこそシャラフ自身で蹴り飛ばしている。
ところが、おどおどした気弱そうな十九歳の少女は、皆から恐れられる凶王を膝に乗せて、不思議なほど穏やかな声で、物語を紡いでくれた。
それを聞くうちに、乾いてひび割れきっていた心に潤いが戻り、また眠れるようになったのだ。
あの時から、すっかり彼女に心を奪われてしまったのに、シャラフは彼女の心を、どうやれば奪えるのか解らなかった。
膝に寝転ぶ王へ物語を聞かせている時は、あんなに穏やかで堂々としているのに、普段の彼女は、誰かに話しかけるにも遠慮して、常にビクビクと脅えている。
少しでも手順を間違えて脅かしてしまえば、それこそ永遠に彼女を失ってしまいそうで、ひどく湾曲に好意を告げるしかできなかった。
―― それが全部、ただの『親切』で済まされたようだと知った時の絶望感を、いつかナリーファへ訴えてやりたい。
「……千夜も待たされた埋め合わせは、たっぷりしてもらおう」
愛しい妻を脳裏に思い描き、シャラフは口端を物騒に吊り上げる。
そして、不眠症も恋煩いもすっきりと解消した熱砂の凶王は、父王の時代にメチャクチャになった国の修復へ、今日もまた精をだすのだった。
終