揺れる想い-4
その大会では、ケンジは全く冴えない記録しか出せず、解散前のミーティングでは、監督教師やコーチは逆に心配して彼をわざわざ部員から離れたところまで呼び、声をかけた。
「まるで別人のようだったぞ、海棠」
「すみません……」ケンジはうつむいていた。
「明らかにメンタル的な問題だな」コーチが腕組みをして言った。「心配事があるんなら、相談に乗ってやってもいいが……」
「い、いえ、大丈夫です。必ず来週には復活します。約束します」ケンジは目を上げて言った。
「ま、おまえのことだから、よほどのことでもない限り、今日のような調子を引きずるとは思えんが……」
監督の教師はケンジの肩に手を置いて続けた。「来週になってもこんな感じだったら、何か手を打たなきゃな」
その監督の鋭い眼差しが、ケンジの目を射貫き、ケンジは一瞬肩をびくつかせ動揺した。
ケンジが部員たちの集団に戻ると、マネージャのアヤカが心配そうな顔でケンジに近づいた。
「海棠君……」
ケンジは言葉もなくため息をついた。
「何かあったの? 今日の記録……」
ケンジは無理して微笑み、その視線を受け止めた。「大丈夫。ただ調子が悪かっただけさ」
「にしても、フォームも精彩を欠いてたし、表情も冴えないみたい」
「心配いらないよ。来週はいつも通りだ」
ケンジはそれでも明らかにばつが悪そうに瞳を泳がせ、焦ったように彼女から離れた。
ミーティングが終わった後、ケネスがケンジを呼び止めた。
「ケンジ、明日から世話になるけど、よろしゅうな」
そして軽く肩をたたいた。
「あ、ああ。遠慮するな。気楽な気持ちで来いよ」
「土産も持って行くさかいな」
「土産? なんだよ、それ」
「今は秘密や。っちゅうても、別に秘密にするようなもんでもあれへんけどな」
ケネスはにこにこ笑いながら自分の荷物を肩に担いだ。
「……」
ケンジはじっとしてうつむいていた。
「どないしたん?」
ケネスはケンジの顔を覗き込んだ。
ケンジは一つため息をついてケネスに顔を向けた。「ケニー」
「何? どないしたんや?」
「……」
「歩きながら話そやないか。もう遅いで。家族も心配するやろ」
「……そうだな」
ケネスは来日してから学校の学生寮に寝泊まりしていた。学校へ向かうルートをケネスと並んで、自転車を押しながらケンジも歩いた。
大会会場を後にして、二つ目の交差点を過ぎたあたりで、ケンジが唐突に口を開いた。
「仮に、仮にだぞ、」
ケネスはちょっとびっくりしてケンジに顔を向けた。
ケンジは少し顔を赤くして続けた。「お、俺に彼女ができたとして、その子が好きで、そ、その、か、身体を求めたくなったとしたら」
「彼女、できそうなんか? ケンジ」
ケンジは慌てて言った。「だ、だから、仮に、って言っただろ。彼女なんか、いないけどさ……」
「ほんで、求めたくなったとしたら、何やねん」
「その気持ちって、本当の『好き』っていう気持ちなのかな」
ケネスは少し考えてから言った。
「そやな、男っちゅう生きモンは、ある意味性欲の塊やからなー。ヤりたい気持ちを恋心と錯覚してまうことはあるかもしれへんな。特に高校生ぐらいやったら」
「やっぱり……そうだよな」
ケンジはまた小さなため息をついた。
ケネスはそんな彼の表情をちらりと見て、ぽつりと言った。
「問題は、ヤった後の気持ちやな」
「ヤった後?」
「そや。性欲抜きで、自分が相手をどう思てるか、ってことは、事後にしかわからへんやろ? いわゆる『賢者タイム』」
「お前、そんなことよく知ってるな。日本に住んでもいないくせに」
「男子の性行動は世界共通やないか。それに的を射た素晴らしい言葉やで、『賢者タイム』」
ケンジは呆れたように眉尻を下げた。
「その子がほんまに好きやったら、コトが終わった後に抱きしめてても、心は熱いままや。それで確かめられるんちゃう?」
「そうだな……」
ケンジは少しだけ微笑んで、ケネスを見た。「すまん、ケニー、変なこと訊いちゃって」
「わいは一人身やけど、こないな意見でも少しは役に立ったか?」
「ああ、なんかちょっと安心した。ありがとう」
ケネスははた、と立ち止まった。「……って」
「ん? どうした? ケニー」ケンジも立ち止まり、ケネスの顔を見た。
彼は顎に手を当てて眉を寄せ、ケンジの顔をまじまじと見返した。
「ケンジは確かめられるんか? そんな事後の気持ち」
「えっ?」
「実際女のコとエッチせなんだら、わからへんやろ? そないなこと。おまえ、コトが終わって確かめること、できるんか? っちゅうか、実はケンジ、お互い愛し合って、何べんもエッチしとる相手が実はおるんとちゃうか?」
ケンジは激しく動揺した。「だっ、だっ、だから、か、かか、仮にって言っただろっ!」
「……ムキになっとる」
「か、帰るぞ、遅くなっちまう」ケンジは焦ったように再び自転車を押して、勝手に歩き始めた。
ケネスも遅れてケンジを追いかけ、そのまま二人は連れだって学校の学生寮への道をたどっていった。