その2 ちちろのむしと別れけり-3
その頃、瑚琳坊とお鈴の姿を品川の宿に見いだすことが出来る。彼等はお鈴の寿命の尽きるその時まで、誰 にも邪魔されず、一時も離れずに過ごしたいと思っていた。瑚琳坊は今まで稼いだ金をすべて路銀としてしっかりと腹に巻き付け、手っ 甲、脚絆に半合羽という出立ち。お鈴は頭を手拭いで姉さんかぶりにし、右手に菅笠、左手に杖という旅姿だった。
客引き女たちの喧しい声が行き交う宿場の通りを行く彼等は、傍目には親子連れに映っていた。坊主頭で背 中を丸めて歩く三十男の瑚琳坊は実際の歳よりも老けて見えたし、きゃしゃな身体で童顔のお鈴は十四、五歳の娘にも見えた。だが、見交 わす彼等の眼差しは恋する者同士の熱いものであった。旅とはいっても遠く江戸を離れるわけではなく、瑚琳坊はここ品川を皮切りに、新 宿、板橋、千住と、四宿を巡り歩いて、お鈴に、この世の思い出に珍しいものをたくさん見せたり、たらふく食べさせたりするつもりで あった。
「……まあ、綺麗……」
江戸近郊では随一といわれる海晏寺の紅葉はお鈴を魅了した。秋の透明な風にはらはらと舞い落ちる落ち葉の 中に立つお鈴の姿は一幅の名画さながらだった。近くには桜の名所の御殿山もあったが、来年の春まではとうてい生きてはいないお鈴だっ た。桜吹雪の下に佇む彼女の姿をぜひともこの目で見たかったが、それは叶わぬ夢だった。
「そうだ、お鈴、荏原神社でお参りしていこう」
叶わぬまでも瑚琳坊は神頼みをしたかった。
(どうか一日でもお鈴の寿命が延びますように……。お頼み申します、お頼み申します……)
今まで神や仏など、毛ほども信じたことのなかった瑚琳坊が、この変わり様であった。
海を望む洲崎弁天社にも詣でた後、旅籠の二階で食した新鮮な魚介類はお鈴を大いに喜ばせた。夜は彼女を 存分に愛し、潮騒の音を聞きながら狂おしく攻め立て、何度も絶頂の高みに誘った。
その後、二人は西へ足を運び、雉子宮、目黒山の不動尊と回り、北へ大きく道をとり、熊野十二社権現に立 ち寄り、雑司ヶ谷の鬼子母神まで巡り歩いた。その間も小さな社や苔むした寺に漏れなく詣で、手を合わせた。当時は物見遊山の軽い気持 ちで各地の神社仏閣を回ることが流行っていたが、瑚琳坊の参拝は次第に真剣の度を増し、賽銭の額も、だんだん増えていった。道々うろ 覚えの延命地蔵経を唱え、延命酒を買い求めてはお鈴に飲ませてやった。彼女の命が延びることなら何でもしてやろうという瑚琳坊は、顔 つきまで変わってきていた。一目で放蕩者と分かる以前の脂臭さが影を潜め、もの静かな瞳が哀しみを胸底に沈めていることを物語ってい た。
八日、九日、十日と経ち、お鈴の寿命の尽きる日が近づいてくるに従い、二人の恋心はより一層燃え上がっ た。が、激しく身体をぶつけ合った後には、やがて訪れる別離に思いを馳せ、互いに涙にくれる有り様であった。
そして、各地の神社仏堂巡りの旅も十四日目を迎え、いよいよ運命の日が今日か明日かというまでに迫っ た。彼等は江戸の町を東へ横切り、向島まで歩を運んでいた。
「お鈴、見てごらん、この寺の名を……」
「……長命寺」
「旅の終わりに、こんな名前の寺に辿り着くとは……。気休めかも知れないが、最後にここを拝んでいこう」
「……ええ」
二人は境内に足を踏み入れた。すると、お鈴が立ち止まり、じっと瞳を閉じた。どうしたと訊くと、
「今、何やら風が吹き抜けました……」
「おかしいな、風など吹かなかったが」
「身体の中です。風が吹き抜けたのは……」
瑚琳坊は目を閉じたまま立ちつくしている彼女を見つめた。